原発メーカー訴訟の第三回口頭弁論を傍聴した。
昨日は、時間前の傍聴希望者には全員に傍聴券が配られたようだった。
東京地裁の一階の広い喫煙室で、いろんなタイプの人間が煙草を吸うのを観察して
時間ギリギリに101号法廷に入った。
写真はすべてiPhone6
正面には3回目の口頭弁論から変更になった新しい裁判官が座り、
左側には原告、右側にはGE、東芝、日立の代理人が座り、普段感じることのない冷たいエネルギーのかたまりが両サイドに陣取っているようだった。
基本的には事前に提出された書面をもとに原告被告両者が弁論パフォーマンスをするのが裁判というものだと思うが、昨日はいくつか違和感を感じる点があった。
一つは、なぜか突然変更になった新任の裁判官だ。少し笑いながらスクリーンを見る為に傍聴側に背中をむけることをエクスキューズしたり、腰の低い営業マンの様に細かいやりとりをしたことだった。私の勘違いかもしれないが、公正中立にきちんと天秤の役割を果たすことが職務であれば余計な笑いもエクスキューズも必要ないはずであり、私の50年くらいの人生経験において公の場で無駄に笑ったり余計なアクションをするのは、何かをごまかすためだったりすることが多いように思う。
裁判官は、この裁判の最後に、次回裁判の予定は決まっていて書類提出期限も何度も確認しているにも関わらず、わざわざ『今日は結審しません』と口にした。あたりまえだ、まだ何も終わっていない。なのに彼はまるで次回は結審するかもよ〜みたいな脅しとも思えるような含みを感じさせるためだけにこのようなことを言ったとしか思えなかった。
もう一つは、GE、東芝、日立の被告弁護団の発言だ。
様々な立場・心情を抱える訴訟原告団を膨大な時間をかけて手弁当で束ねている有志による原告弁護団が事前の綿密な書類準備と丁寧なパワーポイントを準備して臨んでいるにもかかわらず、被告側のGE代理人は資料も確証もないような思いつきの『意見』のようなものを口にしたことだった。そしておしまいには、早く裁判を終わらせたいと子供のようなことを話した。原告団がパワーポイントによる説明をしている途中に5分超過しているから早くしろなどとまったくおかしなことで口をはさみ、予定に無い発言をするといって立ったただのパフォーマンスだけのようなものだった。東芝の代理人にいたっては、一刻もはやく終わらせたいと一言言う為に一度立っただけだった。日立の代理人は一言も発言していない。
(担当の原発の壊れ具合によって各社の態度も違うようだ)
もちろん、原賠法という法律の現在における違憲性を問う裁判において、現状では原賠法に守られている被告側はあまり余計な話はしたくないだろうということはわかってるつもりだが、命を削ってノーギャラで裁判に臨んでいる原告弁護団と、はるかに潤沢な予算とギャラをもらって仕事をしている被告弁護団のコントラストがとても奇妙に感じられた。
この裁判では世界で初めて『ノー・ニュークス権』という言葉が使われた。おそらく世界中に絡み付いた原子力産業のしがらみは、今後もエネルギーだけにとどまらず軍事や核開発をも巻き込んでぐるぐるにかちかちになってしまうだろう。いや、もう既に人間の良心などではとても壊すことの出来ないおそろしく固いものになっているだろう。
司法世界の正義の浪人達が仕込んだ小さな小さな『No Nukes Rights』という概念がいつの日か、プライバシーやパブリシティー権などといった法律書には載っていない言葉と同様に普通に人々に口にされるようになったとき、ようやく人類が次の段階に進化できる時ではないだろうか。
→原発メーカー訴訟原告団・弁護団公式サイト
原発産業の歴史を変える可能性のある小さな始まりの裁判直後の記者会見 驚く程マスコミ取材陣は少なかった。 |