10.29.2011

ダルビッシュ有

現在発売されている雑誌Number#790の巻頭記事「美学貫徹」が面白い。
ダルビッシュ投手のことが実にうまく書かれている。

2007年のプロ野球がシーズンオフを迎えた頃、
ナイキの広告で撮らせていただいた。
当時は、ほとんどこういった撮影に出演していなかった彼に対して、
スタジオ内には、とてもぴりぴりした空気がながれていた。
めったに写真を撮らないということで、
広告用の素材以外にも、所属芸能事務所用の宣材と、
子供達の写真コンテストの審査風景も撮影することになった。

もちろんケアーすべきことはしっかり気を付けるが、
依頼されたものはきっちり撮るのが私の仕事である。
ぴりぴりしてるだけでは、撮れない写真もある。

非常に失礼な言い方かもしれないが、
テレビ等で彼を見ていておそらく純粋な野球バカなんだろうと勝手に思っていた。
ストイックなまでに自分の野球道を突き詰めるからこそ、
まわりに誤解されるところもあるのだと勝手に感じていた。

はじめに控え室で子供達の写真を見てるシーンをスナップした。
撮影の現場で、まわりから腫れ物でも触るように扱われるダルビッシュさんの顔が、
子供達の写真を見た瞬間、とても可愛い笑顔に変わった。
それはカメラが向いているとか向いてないは関係なく、
彼の心からの素の表情だった。
スタジオでの撮影も、この笑顔を頂こうと思いつつ審査の模様をスナップした。

スタジオ撮影となり、広告用の写真を撮り終え、
宣材用にスタイリストが用意した洋服で数枚撮った瞬間、、、
身重の女性がトイレに駆け込むように、彼が口を押さえながら白ホリから走り去った。
20人以上はいたであろう関係者が全員凍りついた。
大方の人は「撮影終わったな・・・」と感じたかもしれない。
引きつっているスタッフの空気を感じながら、
カメラをワゴンに置いてトイレに彼を追っかけた。

彼はトイレで嘔吐していた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。シーズンオフにはよくあることですから、、すぐ戻りますっ」

スタジオに戻って、スタッフが心配するなか、いささか不謹慎だが少し嬉しかった。
シーズン中に自分の能力を極限まで引き出そうと集中していたからこそ
シーズンオフになって体調がおかしくなるのである。
彼の野球にかける気合が、目の前で感じられた貴重な体験だった。

重ね重ね不謹慎だが、人間、、ゲロを吐くようなことをすると、
ある意味体が軽くなって、いい意味で体の力が抜ける。
心の中で「おし、いいのが撮れる・・・」と勝手に思い込んだ。

数分して彼は何事もなかったように立ち位置に戻って来てくれた。
そして、なかなかお目にかかれない素晴らしい笑顔を撮影することが出来た。

この時の宣材用の写真は、雑誌の表紙になったり、
時計をしたポスターが新宿の駅にずらりと並んだりした。


日本屈指の職業ピッチャー・ダルビッシュ有さんが
気合を込めた2011クライマックスシリーズが始まった。
先ほど、7回で降板したが、まだまだ見ていたかった。
彼自身は、まわりがあれこれ詮索するのは最も嫌がるかもしれないが、
もし彼がメジャーに行ってしまったら、日本の野球の魅力がまたひとつ減ってしまう。
野球道に命を捧げたサムライがどんな道をえらぶのか?

ツィッターの、振りかぶって投げてくれ、という書き込みに
きちんと応えてくれるような夢のある大投手は、
ベースボールをプレイすることになったとしても、
きっと、我々を楽しませてくれるに違いない。

Hasselblad H3DⅡ-39 ISO50 120mm

10.27.2011

横浜ベイスターズ

横浜ベイスターズのメインスポンサーが再び変わるようである。
プロ野球チームを持つ会社なんて誰でも知ってるマンモス企業と思っていたが、
最近は世間の多様化によってあまり関わりのない会社がスポンサーになることもあるようだ。
私個人が社会勉強が足りないのは仕方ないが、
携帯でゲームをやらない身としては、
「横浜モバゲー・ベイスターズ」なる名称は
なんともニュータイプな響きである。


2002年、営業に伺ったことのなかった広告の制作で有名なタグボートから連絡があった。
東京放送=TBSが新規のオーナーになるにあたって、
大々的にキャンペーンを行う為の撮影の依頼だった。
私の他に、スポーツ写真に長けた方も3人キャスティングされていて、
沖縄のキャンプにお邪魔して一泊2日で一気に撮りまくるというものだった。

さすがに、テレビ・BS・ラジオを網羅するTBSという会社のキャンペーンということで
現場の挨拶では名刺がいくらあっても足りないほどだった。
もちろん名刺交換などしない重鎮のような方々も数多くいらっしゃった。

映画「十三人の刺客」で役所さんが叫んだ「斬って斬って、、斬りまくれ~!!」
のような合図を出すことはなかったが、
4人の日雇い浪人カメラマンの
いい首(写真)を取った(撮った)もん勝ちな空気がとても楽しかった。

私以外のカメラマン3人の武器は
当時発売されたばかりのイオスのフルサイズデジタル。
私は当時はまだデジタルに本格的に移行しておらず、
イオスのフィルムボディとハッセルVで立ち向かった。
2日目の朝の集合写真は私の分担だったことと、
4人とも35ミリだけで狙うと絵が似てしまうと判断したからである。
ただ、、デジタルカメラ背面のモニターで絵を確認しているのを見て
「ちょちょ、、いいな、、それ・・」と思ったものだった。

なぜか予算はあるはずなのにADと同じ宿泊部屋になっていて、
少し不思議だったが、なんともAD氏は朝まで飲んでいて
部屋にはほとんど戻らないまま朝を迎えた。

本来は15人くらいの集合であれば撮影用のお立ち台を用意すべきところだが、
打ち合わせではすっとぼけてわざとそこには触れなかった。
経験上、あまりきちんとした台を組んでしまうよりも現場の空気で並びを組んで
撮ってしまいたかったからである。
今思えば、少し乱暴な作戦だったが、その時はそうしたいと思ったのだからしょうがない。
そこに、ほとんど寝ていないAD氏はお立ち台代わりに箱馬を用意して登場した。
東京では、狼の皮をかぶった狼なポルシェで打ち合わせにやってくるAD氏に
箱馬を用意されて、切抜きでいきますといわれたので、台を組んで撮影することにした。
少し変化を付けたくてハッセルの903SWCですこし斜めにに狙って、
一枚ずつ「よ~~こ~まはベイスタッズッ!」と声をかけながら15回ほどレリーズを押した。
わずか数分の撮影の後、AD氏から「掛け声、最高っw」を頂いた。


それからしばらくして、、濡れた手で触るとインクが溶けるんじゃないかと思えるほど
黒インクが山盛りに印刷された巨大なB1ポスターがたくさん送られてきた。
あがりはフィルムでもデジタルでも好きなほうで、、と言っていた意味がわかった。
アメリカンコミックのようでもあり、浮世絵のようでもある。
スタジアムに掲出されるためのとてもパンチのあるユニークな仕上がりだった。

スタジアムに派手に飾ってあると教えていただいたので、見に行った。
横浜スタジアムのいたるところにそのポスターは貼られて、
入り口の導線上には等身大の普通の切り抜き写真の選手達がずらりと並んでいた。
この時、他の方がデジタルで撮ったものと自分がフィルムで撮ったものが
そんなに見た目変わらない感じで見れたことが、
その後、デジタルを導入するきっかけになった。

なかなか複数のカメラマンでひとつの現場で同じ仕事に向かうということはないが、
もしチャンスがあったら、
「撮って撮ってっ撮りまくれ====!」と大声で叫びたいと思っている。

カメラマン4人で戦った2002春の陣 
iPhone4

10.22.2011

三浦 雄一郎

2009年、雑誌GQの仕事で三浦雄一郎さんの撮影をするために銀座の東映へ向かった。
映画「剣岳」を三浦さんに見ていただいて、感想を伺うためだった。

とても気持ちのいい映画で、編集の山本さんも興奮していた。
映画の余韻にひたる暇も無く、別の部屋でストロボを準備しながら待っていると、
雪山用のストックを杖代わりにして三浦さんが登場した。

少し足をかばっていらっしゃったが、顔ははつらつとして元気そのものだった。
32歳でスキーの世界記録時速174キロを達成し、
60歳を過ぎてエベレスト登山を決意して、
メタボだった体を絞って70歳と75歳の時に2度も
エベレスト登頂を果たしている鉄人に一度お会いしたかった。
思ったとおりの懐の大きな優しい方だった。
思えば親父と一つ違いである。
こんな元気な親父を持ったら、きっと心配な反面、、
いろいろ笑って酒が飲めそうである。

60を過ぎてこんな行動力を持てることに驚くとともに、
人間なんてものは、やる気さえあればいくつになってもなんでも出来るのだと、
強く背中を押してくれているようで嬉しくなる。

放射能という強烈な敵が立ちはだかってはいるが、
まだまだ、人生もう半分、捨てたものではない・・

使い込んだストックとともに

この時、御一緒させていただいた編集の山本さんが職を辞して、
Sumallyというソーシャルネットワークを立ち上げた。
野心と夢の塊である彼のことだから、
まだまだいろいろと形を変えるのかもしれない。
2011年、大地震と津波と原発事故が発生し、
人々が物を所有するということに何がしかの疑問を感じたことは間違いないだろう。
そんな年に、この日本で「物欲」によって人々を繋ぎ、新たな百科事典となるような
システムを立ち上げたのは、とても面白いことだと思う。
いざという時、体一つで逃げることを日本人は体で感じたはずだ。
だが、物欲が無くなるほど聖人君主な生き方はなかなか出来るものではない。
どうせアホなら踊らなそんそん♪
というわけで、お暇な方は是非!
http://sumally.com/nakayamatatsuya

10.15.2011

Steve Jobs

ある日、なにげなくPCを起動してサファリを開いたら
白バックに年号が入ったSteve Jobsさんの写真が目に飛び込んできた。
弔報までもザ・アップルだった。

写真を撮りたかった人物が、また一人いなくなってしまった。

1999年に、デジタルカメラを使うために,
仕方なくG4とソニーのブラウン管モニター・フォトショップetc.
をなぜか代引きで買う際に、用意した一万円の束を床に撒いてポラロイドを撮ったのが
アップルとの付き合いの始まりだった。

人とテクノロジーを結びつけて、わくわくするような製品を次から次にリリースした
アップルの黄金時代にリアルタイムで楽しめたことはある意味貴重なことだったのかもしれない。

パソコンなんて、、インターネットなんて、、デジタルなんて、、、
などと思っていたが、気が付いたらどれも手放せないものになってしまった。

テクノロジーだけを誇張せず、
人間の感性を信じてこだわって作り上げた企業・製品・ソフトたちは
悔しいほどに我々を楽しませてくれている。
電話で写真を撮って、SNSにアップするなどという一連の行為さえも、
はたから見るとアホなことだが、いざやってみると顔には出さなくてもわくわくしてしまう。

新型iPhone4Sの発売直前に亡くなるというのは、
ほんとうに悔しかったと思う。
世界一の企業を率いて、世界一の金持ちでも癌という病気には勝てなかったというのも
不謹慎かもしれないが、人間の生き方こそを大切に考えた彼の哲学・生き様を
表しているようにも思える。
ただ、あと20年、いやせめてあと10年くらいはiシリーズがどんなものになっていくのか?
見せて欲しかったと心から思う。
御自身の死を意識したのは2度目だっただけに、
アップルという会社のその後や、多岐にわたる準備は相当のものがあったのでは
と想像するのは難しくない。

新型のiPhone4SにはSiriという簡単な人工知能ともいうべき
会話機能がインストールされているらしい。
(現状では日本語には対応していない)
真偽の程は定かではないが、
どうやらそのSiriに彼の人格が反映されているのではないか?という話をWEB上で見つけた。
私が彼の立場だったら、きっとそうするかもしれない。
そしてその後の商品開発においても、自らの魂をなんらかの形で
インストールし続けたいと願うのは、不思議なことではないと思う。

裏技を仕込む事だって可能だろうし、
若者が電話に向かって人生相談をすることもあるだろう。
電話を祭壇に祭る宗教団体だって出現するかもしれない。
人間は果たして、テクノロジーにおける倫理上の問題を解決することができるのか?
人工知能を使いこなす叡智を持ち合わせているのか?
こころから人間のくらしを豊かに楽しいものしようとしたジョブズさんの夢が
間違った方向に進まないことを祈るばかりである。
アップルが人類にとって再び禁断の果実になることは、
なんとしても避けなければならないと思う。

税金を払っている感覚で次から次に新製品を購入することが
どこかで彼の夢を支えているんだということもわかりやすく教えてくれた。

NHKのクローズアップ現代で孫さんも口にしていたが、
iRobotが出るあたりまでは元気にアップルを率いていて欲しかった。
早すぎる。
とにかく早すぎる死は、残念でならない。

敬意と感謝を込めて、合掌。

裏蓋の割れたiPhone4

10.06.2011

拝啓、宇宙人さま

来週の10月11日火曜日に発売される「サンデー毎日」の巻頭グラビア5ページで、
PANORAMANが特集される。
さすがにメジャーな全国誌なら、宇宙人も見て頂けると思うので、
宇宙人の方々に向けて、簡単なメッセージも書かせていただいた。

6月の終わりに皇居東御苑に行ったのは、
向かいにある毎日新聞本社で打ち合わせをするためだった。
このブログ上で公開していたPANORAMANを見て、
巻頭グラビアに掲載したいという連絡を頂いたのである。
さすが日本で始めての週刊誌「サンデー毎日」
お目が高い。

子供の頃、年の離れた兄がいたおかげで実家には、
Whole Earth CatalogやMade in U.S.A.やポパイやブルータスの創刊号etc.が転がっていた。
やくざだらけで道路の舗装もままならない小倉生まれのはなたれ小僧だった私に、
この世界の広がりを教えてくれたのは、まぎれもなくそんな「雑誌」たちだった。
我が家には、ドラえもんはいなかったが、兄の部屋に転がっていた雑誌こそが、
自分にとっての「どこでもドア~」だった。

小学校の時に、小倉から別府あたりまで古い時計を集めるために自転車で走り回り、
場末の時計屋さんで修理上がりを受け取りにこなくて
溜まっている古時計を見せてくださいと言って、
動いてないようなフリをしてタダで貰い受けたり、
高校2年で、校則なんか無視して自動2輪の免許をとったりしたのも、
間違いなく脳みそに突き刺さった雑誌のページのせいである。

カメラマンになったのも、雑誌の中で
ときどき手が止まる写真たちとの出会いがあったせいなのかもしれない。

そんなわけで、あまり大きな声では言わないが
かなり雑誌大好きカメラマンなのである。

そんなカメラマンのネット上の写真を見て、
取引の無かった日本最初の週刊誌「サンデー毎日」が声をかけて頂いた事に、
時代の流れと、不思議な縁を感じた。



新聞テレビでは、報道できないような裏をとったえぐい情報も
週刊誌ではたくさん見ることが出来る。
おまけに「サンデー毎日」にはエロは一切無いので、
お子様達にも見ていただくことが出来る。

何気なくお子様の手に届くところに「PANORAMAN」のページを転がしておいて頂きたい。
こんな普通の週刊誌の、不思議なメッセージを添えた妙な写真たちを見て
今の子供達が何を思い、どう脳みそに入っていそうなのかお聞きしたいと思っている。

脱原発デモ919@R246     by Widelux F8

10.02.2011

藤岡弘、

「中山君、”鏡(かがみ)”から”我(が)”を取ると神(かみ)になるんだよ。
わかるだろう・・・」
藤岡さんの自宅の道場で、鏡を使って撮影しようとした際に言われた言葉である。
鏡を見ると時々、この言葉を思い出してしまう。
いつも、突然なので??となってしまうが、体の中に残ってることが多い。
藤岡弘、さんは時々そんな言葉を投げかけてくれる。


10年ほど前、頻繁に藤岡さんの書籍や取材で撮影をさせていただいた。
刀を使った撮影をお願いすると、
ものすごい気合とともに真剣を振り回してくれる藤岡さんの迫力にはいつも圧倒された。
レンズ前ぎりぎりで日本刀を振り回す藤岡さんに、
刀が手から離れることはないんですか?と尋ねると、
低い声で笑いながら「大丈夫だよ、でも柄から外れることはあるな・・」と言われ、
本物の手裏剣がすごい音を立てて壁に突き刺さり、
次々に細い俵がぶった切られるのを目の当たりにすると、
撮影をしながら、まじで命の危険を感じたものだった。

そして撮影が終わると、藤岡さんのお母さんの素晴らしい日本食の御馳走を頂いたり、
ハリウッドあたりからこっそり遊びに来ていた方々の写真など見せて頂いたりした。
あまり大きな声では言えないが、
柔道家なみに逞しい腕で、巨大な4駆のハンドルにかけた無骨なハンドルロックを外したかと思うと
バックギアでまるで、前進してるように車を運転するのには驚いた。
ひっそりと1300ccの隼が置いてあったり、
自宅の外階段の脇にはさりげなく「マムシ注意」の看板がたっている。
探検もののテレビ番組で、半分冗談のように隊長として写しだされるが、
何度かご一緒すれば、藤岡さんのサバイバル能力が本物であることが、すぐに理解できる。

一番初めに藤岡さんを撮影させて頂いたのは、メンズクラブの取材だった。
せがた三四郎のコマーシャルムービーの撮影におじゃました。
すでに撮影に入っていたために、憧れの仮面ライダー御本人には挨拶も出来ないまま
なるべく現場に迷惑をかけないように600ミリで遠くから狙っていた時のこと、
さすがにCMの撮影現場で巨大なレンズで狙ってるのが目立っていたようで、
CMのスタッフに注意されそうになったら、遠くの立ち位置にいた藤岡さんが、
「彼は、いいんだっ!」と低くて大きな声で、フォローしていただいたのだった。
その後、休憩中に挨拶をしてお礼を言ったら
「君の方から気を感じたからね~~遠慮しないでどんどん撮りなさい」と言われた。
この時は、いきなり不思議なことを言う方だなと思ったが、
遠くから獲物を狙うようにロックオンされていたのを、
確実に視線の外で感じていたんだと思う。

Canon EOS1N  600ミリトライX
自分の足を切ることなく本物の日本刀を振り回し、
本当のサバイバルを熟知している俳優さんはほかにあまりいないだろう。
(実際に本物の重い日本刀を持つと、刀を振り下ろした時に、
足の運びを少しでも誤ると、一発で自分の足を切るだろうとわかる)
アメリカの俳優のユニオンにも加入されている藤岡さんには、
是非、スターウォーズあたりで、日本刀でライトセーバーと戦って欲しかったが
その映画も続編は無くなってしまったようで残念である。

侍としての藤岡さんの言葉は、今の日本人のこころに響く。
藤岡語録
ブログ
仮面ライダーに変身していたスーパーヒーローが、
何十年も経った今も、リアルに日本人としての元気を与えてくれる・・・
こんな素晴らしいことはないと思う。


全国の放射能一覧において、
先日29日~30日の台風上陸の際、
放射能が急上昇していたのを
二日酔いの状態で確認していたが、
なぜかデータが消去されている。
この期に及んで、いったい何を隠そうというのか。。
いったい、いつまでこんなことを繰り返すのか?