6.23.2012

石原慎太郎

たしか西暦2000年だったと記憶している。
石原さんが、都知事に就任して一年くらい経った頃、
月刊現代の貌シリーズの連載で都知事室にお邪魔した。

部屋に案内されて、挨拶を交わして、インタビューが始まるころ、
限られた時間内に3カット頂くミッションをクリアするために、
きょろきょろしつつ、知事の机の内側になにげなく回り込んだら、
部下の方に「そこは、、ちょっと・・」と制止された。
そしたら、石原さんが「だいじょぶだよ、彼も仕事だから。。」と
自由に、部屋中を動き回ってアングルを探すことができた。

軽いインタビューを終えて、用意したナショナルのグリップストロボに傘を付けて、
背景用に編集の吉田さんに黒い別珍の布を手で持ってもらってモノクロのカットを撮影した。
この時は、あまり政治家っぽくしたくないと閃いて
やや上からカメラを構えた記憶がある。
いろいろな武勇伝を聞かされていたので、
初めから、怒らせてしまうと残りのカットがコントロールしにくくなるので、
最初のモノクロのカットは、あまり攻めずにトライX2本で撮りきった。

Hasselblad 500CM 100mm トライX

2カット目は知事の椅子に座ってるところを頂いた。
構成的にあったほうがいいと判断したことと、
椅子に座って頂いて写真を撮りながら、いくつか言葉をかけようと思ったからである。
撮影しながら、壁に貼られている石原裕次郎さんの絵を指差して、
「石原さんが描いたものですか?」と尋ねた。
そしたら、椅子から立ち上がってかなり厚手の画集を持ってきて、手渡して見せてくれた。
作戦通りである。
大物の撮影の時ほど、感じたことを素直に口にすると、写真が面白くなる気がしている。
時間があまりないわけだが、あえてゆっくり画集を見せていただいた。
繊細な細かい線のデッサンが多かったのは少し意外だった。
そして、いちかばちかの言葉をかけた。
「石原さん、絵うまいっすねぇ~~~」
この言葉が相手にどう伝わるかで、3カット目に何が狙えるかが左右されることになる。
結果は上々だった。そうなんだよ、けっこう上手いだろ、みたいな返事をされて
す~~っと、言葉が通じる空気になった。
そして会話をしながら都知事の椅子での撮影を終えて、
すぐに3カット目のことを持ちかけた。
「石原さん、裕次郎さんの絵の前で撮らせてもらってもいいですか?」
ほんの一瞬、現場の温度が2度くらい下がった気がしたが、
石原さんは、すぐに、快諾してくれた。
ほんとうは立ちで撮るつもりだったが、そばに椅子があったので、
なんとなく椅子を動かして座って頂いた。
そして無意識に口から出た言葉が「石原さん、都知事じゃない石原さん撮ります」
石原さんは何も言わずに、目線を外してくださった。

Hasselblad 500CM 50mm EPN

実は結構、好きな写真である。
初めて会うカメラマンに快く仕事をさせてくれた石原さんをかなり好きになった。
やんちゃな作家と都知事という2面性を持った紳士であると同時に、
古きよき時代の日本人の魂をもった侍なおじさんだと思っていた。

そんな石原さんの気になる写真を、FB上で知り合いの方が教えてくれた。
http://www.asahi.com/national/update/0621/TKY201206200855.html
きっと気持ちの若さゆえのアクションだったに違いないとは思う。
ただ、都知事という立場で32万人の署名を否決してからとる行動ではないと思う。
石原さんは、ぶら下がりの記者達にぶしつけな言葉で話をするのは
よく目にするが、アレはアレで聞くほうも聞くほうだが・・・



なぜ、政治家は、いろんなことをきちんと自分の口できちんとした機会を作って
説明してくれないのか?
マスコミ、特にテレビは、なぜ国民の生活に関する意思決定をきちんとした時間をもうけて
政治家に話をさせないのか?もっとそういう報道の枠を増やすべきではないのか?
もっと落ち着いて、責任ある発言をさせる機会をつくるべきである。
消費税増税したほうがいいという判断をするのであれば、
責任者がきちんとわかりやすい言葉で説明するべきである。
与党内部で誰が賛成するとか反対するとか、
政治評論家がべらべらしゃべる時間があったら
もっと本質的なことを政治家がきちんと声にだして
話すべきだと思うのは私だけなんだろうか?
日本の総理の立ち止まり発言なんて、
新橋の酔っ払いのおっさん以下のことしか話していない。
いろんなことがおかしなことになってる今、
国民の前で正直に、率直に話が出来ない政治家は即刻辞めるべきである。

結局、原発も再稼動に舵をきるかもしれない。
福島原発の4号機のプールだっていつゲームオーバーになるかもしれないような時に、
まったく、頭がおかしいとしか思えない。
停電と子々孫々まで苦しむ放射能とどっちがいいか、
いつまですっとぼけたふりをするつもりなのか?

国民に向けてわかりやすくまつりごとの説明をするのは、政治家の仕事ではないのか?
昨夜、永田町で4万5千人のデモがあっても、政治家は知らんぷリを通すのか?

傾国などどいう言葉を、意識することは無いと思っていたが、
まさに今、大部分の国民はどこかで感じているのではないだろうか。

金とか利権とか地位とか忘れて、誇りと責任を持って、きちんと自分の口で話ができる
政治家が増えなければ、このままでは日本は間違いなくアウトだ。

革命といえるようなことがなければ日本は変われないのか?

ああ、日本・・・

6.21.2012

汚れた英雄(妄想注意)

来月の写真展の題材となっているファンキーだった母校・企救中(きくちゅう)を卒業して、
1980年、中途半端な進学校の小倉高校に入学した。

高校時代にどんな生活をしていたか、あまり記憶がない。
一つだけ、しっかりと憶えていることがある。
あまり他人には話したことはないが、
大藪春彦の小説にどっぷりはまっていた。
そして、それを原作にした角川映画にかなり心酔していた時期だった。



汚れた英雄の北野晶夫になりたいと真剣に思っていた。
こいつのせいで、高2の夏休みにこっそり中型二輪の免許を取り、
魔人のようにコーナーを駆け抜けるような走りは出来なかったが、
なんとか小倉という田舎を抜け出して東京に行きたいと思ったのは、
ここだけの話、北野晶夫のせいだったかもしれない。

どういうわけか、高校時代に英語の通知表の評価が全て5だったおかげで、
学習院大学の推薦を受けて入学した。
北野晶夫の部屋のイメージが深く脳に突き刺さっていたせいで、
大学に入ったら、射撃部に入ってそこそこの成績を積み重ねながら
全国から集まったお金持ちのお嬢様達相手にスキャンダラスな恋の狩人になるはずだった。



ちなみに中山少年の妄想の中では、
壁に埋め込まれた大型の金庫には射撃用の黒光りするライフル銃が並び、
金属製の丈夫な作業台には銃のメンテナンス用の道具が無造作に置かれている。
ガレージには、最新式のイタリアンバイク数台とBMWのALPINA。
冷たいシャワーと火傷するほど熱いシャワーを交互に浴びた後には、
もちろんベッドで、美しい女性が待っている。
ようするに、、、、
汚れた英雄の北野晶夫と、蘇る金狼の朝倉哲也と、野獣死すべしの伊達邦彦が
合体していた。

そんな汚れた英雄になりきっていた中山少年は
意気揚々と学習院大学の桜舞い散る新入生歓迎のキャンパスを横目に見ながら、
射撃部の部室にまっすぐ向かった。
しかし、なぜかその部室には誰もいなかった・・・
神様、最大のいじわるである。
しかたなく、無意識にキャンパスを彷徨っていうちに、
素敵な先輩女子に取り囲まれて半ば拉致されたように
観光事業研究部という、ま、わかりやすく言うと大学生同士で
スキーツアーをやるような、一見してかなりミーハーなクラブに入部してしまった。
つまり、高校時代からずっと大切にしていたハードボイルドな夢が、
この瞬間に、こなごなに砕けて蒸発しまったというわけだった。
大学時代に北野晶夫と同じ平レプリカのヘルメットを二つ買った。
一つは当時付き合っていた高校生の彼女用だった。
その娘も、大学生になって早稲田大学の医者の息子に持ってかれてしまった。

ああ、青春・・・

ちょうど30年前に購入した
ハードボイルドのしょっぱい記憶
既に内側のウレタンは
加水分解でまったく残っていない。
iPhone4

6.18.2012

Nikon D800E パソコン接続撮影

先日、ファッションのカタログ撮影の仕事にD800Eを使ってみた。
ストロボ撮影がメインであればハッセルのHでやるところだが、
自然光の撮影で連写したくなることもあり、いささかパソコンとの接続に不安はあったが
ニコンの愛用者でもあるカメラマンの先輩がADでもあるので、
カメラコントロールプロという接続ソフトがどこまでがんばるのか試してみた。

予想通り、数十枚撮影すると、転送がエラーになりソフトが
ハングアップする症状が、全11カットで5回発生した。
ストロボ撮影時のチャージのある状態でも同じ症状が出た。

実際同じ状況でハッセルH(3900万画素)を使ったとしても、
これほどソフトがフリーズすることは経験上無いように思う。
(つまりファイヤーワイヤー800の転送のメリットだと思われる。)

パソコンのスペックはMacBookPro17インチ
Intel Core i7 2.66GHz
5400回転のHDで空き容量は140G。
メモリーは8Gだが、撮影時はNX2とカメラコントロールプロの
二つしか立ち上げていない状態である。
RAWと最小のjpgを振り分け記録で、
PCとカードの同時記録である。
いまだに許せないマックの大人の事情による
USB3未搭載のせいであるのは言うまでもない。

転送が止まった状態になると、カメラもパソコンも操作不能になるため、
やむを得ず、ソフトを強制終了して再接続してソフトを再起動。
転送の不具合に気付いてから、再び撮影に入れるまでに約3~5分のロスとなる。
しかも、この状況になった場合、カメラコントロールの記録モードが再起動後に、
なぜかPCのみになることがあることもわかった。
(ファイルの名前がカメラの連番でなくなるので確認できる)
撮影に復帰した場合は、必ず確認する必要がある。
そして、この時に約10枚ほどのデータが転送されないことも確認した。
(カードには記録されている)


天候と時間を見ながらの撮影において、カメラトラブルで撮影がストップしてしまうのは、
なんとも避けたいので、非常に神経を使うことになる。
モニターでリアルタイムに確認するPCとの接続撮影スタイルをとるならば、
何か対策をしないと、非常に使いにくいカメラである。

一番、まずいなと思えたのが、この症状を何度か経験すると、
撮影しながら、なるべく転送エラーが出ないように、シャッターを押す回数をどこかで
我慢して減らしてしまうような気分になったことだった。
自然光で撮影する場合は、動きの中でここだと思ったときは、連続して押したくなる。
モデルの動きが面白くなった時は、いっきに攻めて枚数を抑えながら
あたりを狙っていくというスタイルがスポイルされるような気がしたのである。

もちろん現行でUSB3に対応しているウインドウズの撮影用マシンを用意するのも
一つの手段ではあるが、もろもろのソフトや周辺の環境を考えると、
マックで同じような、性能がでてくれないのが、なんとも悔しいところである。

Wifiでデータを飛ばすSDカードでjpgだけを転送するスタイルにするのは、
なんだかオタクっぽくて避けてきたが、それも試してみなければいけないかもしれない。

おそらくHDをSSDにしたところで、USBの転送速度が上がらない限り
同じような症状は出るように思える。
最近発売になったMBPにようやくUSB3が搭載されるようだが、
ニコンの付属のUSBコードはなぜか1メートルしかない。
1メートルでは正直単体では役に立たない。
それに加えて、よさそうなUSB3のリピーター付延長コードをあまり見かけない。
全体から見れば、たいした需要ではないかもしれないが、
カメラメーカーは実際にカメラが使われる環境を検証した上で
周辺機器のケアーをしていただきたいといまさらながら強く感じた。

膝上ショットからの切り出し画像 70-200Ⅱ 70ミリ f6.3 1/250
画像自体には何の不満も無い。
一度の撮影で約100Gを使っても、そこも許せる。
こんなに素晴らしいカメラなのに、、
接続撮影に関して何か秘策を用意してくれていたら
もっと幸せになれたのにと思うと、残念でならない。