8.27.2012

Scribbler

最近使っている2TB×2個入りの秋葉館のハードディスクの残量が少なくなってきたので、
古いハードディスクの点検をかねて、あれこれ繋いで振り分けつつ
ネットでうろうろしていたら、おかしな落書きツールページを発見した。

Scribbler


ファーストタッチ

バッタのつもり・・

先日の写真展の写真を見ながら・・・
「企救中」の方ならだれかわかるはず。

烏賊のつもり

8.16.2012

夜の公園(野生の王国・蝉編)

先日、いつもの公園で久しぶりに蝉の顔でも撮ろうかと昼食後に行ってみたら、
ビギナーズラックともいえるショットをものに出来た。


せみの大きさになると斜めから抜くとどうしても片目にしかピントがこなくて
迫力に欠けることは想定できたので、
どうしても正面で顔のアップを狙いたかった。
かなりの蝉に一瞬で逃げられたがこいつだけは大人しく撮らせてくれた。


やりゃできるじゃねえかという気分で、羽化したての黄緑の蝉の顔を狙うつもりで、
夜中の公園に行ってきた。
生命の輝くような美しい顔と体を撮ろうと意気込んで向かったが、
公園に一歩足を踏み入れた瞬間から何か昼間とはまったく違う
おどろおどろしい雰囲気にぞっとした。
昼間は騒がしく鳴いている蝉の声はなく、ときおり闇夜のからすのような、
「ジジッ」という不気味な蝉の鳴き声が聞こえる。
そして、わたしの気配を察知して蝉達がばたばたと飛びたつ。
公園の真ん中にある大木の根元には、蝉の幼虫が出てきたと思われる
1センチほどの穴が無数に空いているのを確認していたので、
そのあたりをLEDの小さなライトで照らしてみた。
すぐにもぞもぞとうごく蝉の幼虫を2匹発見した。
しかし、彼らは黒い小さな物体の集中攻撃を受けて
羽化するどころか、断末魔の叫びをあげるようにかすかに手足を動かしていただけだった。
何年も地中で暮らし、最後の夏に地上に這い上がり、
真夏の夢を見るようにすがすがしい気分で木に登って殻を破り、
羽を伸ばし、空を舞い、大きな声で叫んで一生を終えるなどと、
おとぎ話のようなイメージしか持っていなかったが、
現実は、とんでもなく過酷な弱肉強食の世界が繰り広げられていた。
おそらく、穴から出てきて、なにかのトラブルで動きが遅くなった瞬間に
蟻達にとりつかれて、みるみるうちに体中の隙間から致命的な攻撃を加えられ、
餌食になってしまっているようだった。




昼間のこの公園は何度も行っているが、抜け殻でない幼虫の亡骸は見たことがない。
おそらく、蟻達は狙った幼虫を、一夜のうちに解体して
地中の巣に持ち込んでいるからだと思われる。
あたりまえのように無数に木に残っている蝉の抜け殻も、騒がしく鳴く蝉達も、
そんな蟻の攻撃や様々な困難を乗り越えて存在していた奇跡に衝撃を覚えた。
そもそも生き物は精子のころから、優秀なものだけが生き残るというシステムはあるわけだが、
モデルになってくれている虫達も、そんな過酷な生存競争を生き延びて存在しているという
当たり前のことを強く認識することになった。

のんきに感動して、ろくな鎧も持たない人間には、
昼間は比べ物にならない程の藪蚊が血を吸うために集まってくる。
蚊の攻撃に備えをして、夜の公園という状況であるので出来れば複数で
夜の公園の身近な虫達のもうひとつの世界を是非確かめて欲しいと思う終戦記念日。

おそらく天寿をまっとうして、木から落ちた油蝉が、
砂の上で最後の力をふりしぼって身構えていた。
彼はこの目でどんな世界を見て、どんな一生だったのだろうか・・
きっと我々には想像も付かないようなことばかりだったに違いない。




8.09.2012

「企救中」北九州展閉幕


中山達也写真展「企救中」北九州展は無事に閉幕しました。
連日36度の暑さの中、御来場いただいた皆様、お花を届けて下さった皆様、
お菓子やお酒やパン・おにぎり、煙草等を差し入れてくれた皆様に
心より御礼申し上げます。
ほんとうに、ありがとうございました。
(こまかい出来事はFacebookに写真を少しあげています。右側のFacebookのアイコンから是非)







御来場くださってご挨拶をしてお茶を手渡しした後、
皆様の口数がだんだん少なくなり
真剣な顔つきになって写真と向き合っている姿がとても印象的でした。

口ではうまく言えないですが、
今回の写真たちは、単なる私自身の写真作品という枠を超えて、
見に来てくれた同級生それぞれの中に何か新しいものとして
生まれ変わったような気がしました。

そして、こころに残ったのは「ありがとう」という言葉でした。
語尾の「とう」を上げるようにして、
同級生達皆が口にする「ありがとう」を毎日ずっと聞いていました。
地元の言葉で普通に挨拶をしただけで通報されたという伝説もある、
ある意味荒々しい小倉弁をフルタイムで使いこなす同級生達が、
お茶を受け取りながら「ありがとう」
お茶のお代わりを注いでも「ありがとう」
写真を見て「ありがとう」
乾杯しても「ありがとう」
しこたま飲んで別れる時も「ありがとう」
と、自然に普通に「ありがとう」を連発する姿に不思議な感動を覚えました。
いかついイメージしかなかった小倉弁ですが、
今回の旅でもっとも代表的な小倉弁が「ありがとう↑」であることを
小倉生まれの企救中育ち48歳は、気付きました。

お酒を飲みながらの、はたからみればぶしつけな物言いも、
真剣に相手とストレートにコミュニケーションするためのものであり、
お互いを認め合うがゆえの言葉でもあることも感じました。
高校卒業後、ほとんど顧みることのなかった小倉で
いろんなことを学ぶことができました。


写真クリックで大きくなります↓

写真展でみずからの等身大の写真を見たスーパーモデルな同級生達は
居酒屋の帰りしなに、こんなに素晴らしい集合写真を撮らせてくれるやつらになっていました。


いつの日か、再び魂の叫びが聞こえたら「企救中2」に挑戦しようと思っています。

みんな、ほんとうにありがとう