1.16.2013

大島渚

またもやFacebookの書き込みに「えっ!」と声を出してしまった。
大島渚監督が亡くなられた。
テレビの生番組であろうと、言いたい事をはっきりと口にして、
時には手も出してしまう頑固者のかっこいい先輩が
また一人いなくなってしまった。

西暦2000年、「愛のコリーダ」がノーカット版で復活する際に、
雑誌Frauの取材で鎌倉のご自宅にお邪魔した。
道に面した黒い壁に圧倒されたのを憶えている。
縁側のある平屋の和風建築にお住まいなのは、正直さすがだなと思った。

写真のミッションは監督のポートレート3点と
御夫婦のエピソードがらみのブツ一点だった。
どうしてもワンカットはストロボで撮りたかった。
監督のご自宅のコンセントをエクスキューズしたくなかったので、
用意していた積層電池式のナショPを、
居間で待っている間に傘バンにセッティングした。

程なく、既に40年連れ添っておられる奥様の小山明子さんが
監督の手を持って、居間に入って来られた。
数年前に患った脳出血のリハビリ中で、不自由な足を引きずりながらだった。
(「御自分の足で立ってる写真を撮るのは、今しかない!」)
監督を怒らせたら撮影なんて一瞬でNGになるだろうと
気にしていたにもかかわらず、挨拶もろくにしていないまま
「監督、そのまま撮らせて下さい!」
と叫んでしまった。
露出も計らずに、出会い頭に向けたカメラに笑顔を作って下さった。
奥様の入れて下さったお茶を飲んで、やっと気持ちが落ち着いた。

Hasselblad 500CM 100mm Try-X
そして、縁側でお二人で並んで座って頂いた時に、
監督は口には出さないが、顔の表情がうまくいかないようで、
どうにも居心地が悪そうだった。
2カットも御夫婦で手を繋いでいる写真はどうなのか?とも思ったが、
奥様に手を添えて頂くようにお願いした。

Hasselblad 500CM 80mm Try-X
とても上品に優しくして下さった奥様のおかげもあって、
いい写真を撮る事ができた。
そのあと、縁側でのお一人のポートレートと、
居間に飾ってあった、エッフェル塔の前で
撮影されたお二人の写真が収まった小さなフレームを撮った。
今でも、手を繋いだ写真を撮ることにこだわっているのは、
この撮影がきっかけだったような気がしている。
監督、奥様、どうもありがとうございました。

自分が40代になった頃、きっと近い将来、
撮影した大先輩達が鬼籍に入るような時期が
来るんだろうなとうすうすとは感じていたが、
そろそろ、そういう時期に突入してしまったようである。


写真は、撮影した瞬間から、遺影になる魔力を持っている。
肝に銘じて、これからも肖像写真を撮っていこうと思う。


大島監督、お疲れさまでした。
思い切ったテーマや、大胆なキャスティングの映画達を
今後もゆっくり見させて頂きます。

合掌