「月刊現代」で新たに始める新連載グラビアの話だった。
巻頭の扉で始まる4ページを写真を中心に構成するというミッションだった。
そして以後40人続くことになったトップバッターが三國連太郎さんだった。
映画会社の試写室でインタビュー含めて1時間という条件で、
打ち合わせで決めたのは、扉・見開き・止めの3枚の写真撮影を行うということだった。
何回続く連載になるかは、そのときはわからなかったが、
どうしてもモノクロのミニマムなポートレートを扉に据える構成にしたかった。
いまなら普通にカラーデジタルで撮影して、
あとでモノクロにして納品することは簡単なことだが、
当時は、モノクロを狙うなら自分でプリントが出来るモノクロフィルムである。
掟やぶりではあるが、モノクロうんぬんを事前にきっちり確認することはせずに、
自分勝手に顔のよりをモノクロのみで撮影した。
めでたくモノクロのポートレートを扉にした構成は以後ずっと続く事となり、
連載グラビアのタイトルは「貌(かお)」と名付けられた。
(たった一度だけ、西田敏行さんが大河ドラマのメイクで徳川家康だった時に、
鏡に顔を付けて顔が二つ写っているものはモノクロじゃないほうが面白いと判断してカラーで撮影した)
三國さんが、昨日亡くなられたというのをFBの書き込みで知った。
春秋戦国時代で例えるならば、三國さんは日本の俳優界の「大将軍」だったと思う。
もちろんいろんな代表作品があるが、
私の中では、 「野生の証明」で館ひろしさん演じる息子を溺愛する
地方の権力者のイメージが強く記憶に残っている。
地味な役柄ではあるが、滲み出るような三國さんの演じる権力者の悪によって、
高倉健さんの演じる正義(のようなもの)がよりいっそう際立っていた。
一昔前の色っぽい俳優さん達の中でも、
どんな役柄でもぐいぐいイメージを深めてくれる三國さんがいなくなったのは
とても残念で悲しい。
ここだけの話、「宇宙戦艦ヤマト」の実写版では、
三國さんが演じる沖田艦長を見てみたかった...
息子である佐藤浩市さんがプレゼントしてくれた洋服を着て、
試写室で写真を撮るのに遠慮なくシガーをくわえるという
ある意味「そのまんま」撮らせてくれる、めちゃくちゃかっこいい方だった。
撮影する前は、いろいろと作戦を立てようと妄想していたが、
ただカメラの前にいて頂けるだけでいいと感じさせてくれる、まさに大将軍だった。
再び三國さんの映画を見させて頂きます。
合掌
写真は全てHasselblad 500CM PORTFOLIO1 Page80より |