金沢の内灘海岸というテロップがテレビに映しだされていた。
某国営放送の委託カメラマンがなにやら事件をおこしたらしい。。
内灘海岸には二つの思い出がある。
2001年に、月刊現代の貌シリーズで谷村新司さんを取材させて頂いた。
ラジオの収録スタジオの狭い部屋でストロボを立てて撮影した写真を、
谷村さんがとても気に入って頂けたこともあって、
それから3年程、谷村さんのツアーパンフや
カレンダーの撮影をさせて頂いた。
撮影に関しては、御本人の事務所が主体となって行っていたこともあり、
とても身近に接して頂いて、
あの素晴らしい声でたくさんお話もさせて頂いた。
いつもとてもダンディーで、あらゆる事に興味を持っていて、
経験豊富な知識と、遊び心満点な谷村さんとの会話はとても楽しかった。
撮影の時には、かならずどこかで一言、
核心をついたディレクションをしてくれた。
スタッフの間では、「大どんでん返し」と言われて煙たがられていたが、
私的には、モデルとなる御本人がきちんと企画を理解した上で、
御自身の世界も鑑みてきちんとディレクションされるのは、
とても正しいことだと思うし、ありがたかったし、いつも感心していた。
地方に行くと、飲み終わってから夜中にコンビニの袋をぶらさげて、
笑ってごまかしながら御自分の足で街の空気を感じていたのが、
とても印象的だった。
2003年度のカレンダーの撮影は金沢だった。
砂丘があることを打ち合わせで知った私は
とても楽しみに撮影前日のロケハンに行った。
内灘砂丘と地図にも表記してある海岸に入って、唖然とした。
「砂丘、、どこ?ん?どこ?」
「ここらしいですよ。。」
「??ここって、これ砂丘?つか、ただの海岸じゃない?」
鳥取砂丘のような広い砂丘をイメージしていたが、
実はわりと、、なんちゃってな砂丘だった。
「ん〜〜なるほど。。。まいったな。。」
というわけで、海岸線を走って探しまわり、
なんとか陽の角度にふさわしい砂の小山を見つけ、
翌日に砂の模様がきれいに表れていることを祈った。
当日は、まるでモノクロ用と言わんばかりの曇り空、
砂の模様は見事にそこだけ美しく刻まれていた。
さすが俺である。
きちんと祈れば、自然も見事に仕事をしてくれる。
おまけにシャッターを押し始めるとちょうどいい風が静かにふわ〜である。
おかげで内灘砂丘が素晴らしい砂丘であると
勘違いしてしまうような写真が撮れてしまった。
それから3年ほどして、突然この海岸が見たくなって、
K100RSで新潟経由で金沢に向かった。
たしか富山あたりで一泊して、海岸に入ってバイクを止めた。
「素人はそのまま砂地にスタンド立てるから
砂に埋まってバイクを倒すんだよね〜〜・・」
などと思いながら近くに落ちていた木片をサイドスタンドにかまして、
しばらく海を眺めながらタバコを吸った。
カレンダー撮影の時とあまり変わっていない海岸を歩いて見て回った。
これからどのルートで帰ろうかなどと考えながら、
メッシュの手袋をして静かにエンジンをかけカーナビのスイッチを入れた。
ヘルメットをかぶり、サイドスタンドにかましていた木片を足で払って
走り始めた瞬間、バイクごと足払いを受けたようになって
私は砂の上に放り出されてしまった。
敗北だった。完全な敗北である。
近くにいた人たちの悲しい視線がきつかった・・
砂の上に這いつくばってバイクを見ると、
前輪にホイールロックが掛かったままだった。
砂に埋まって倒れないようにサイドスタンドにばかり気をとられていて、
無意識にかけてしまうホイールロックのことをすっかり忘れていた。
バイクの下敷きになった片側のパニアケースが
ロックしていたにも拘らず無惨に開き、バックミラーも外れていた。
砂地の上で280キロのバイクを立てるのに、
泣きそうになったのは言うまでもない。
私のバイク人生の最もかっこ悪い瞬間だった。
皆さんには、この内灘海岸の砂丘という表記と、
砂にはくれぐれも注意して頂きたい。
Hasselblad 50mm