「量のない質はない」
森山大道さんの「昼の学校 夜の学校」
という学生との問答集の中に出てくる言葉である。
写真という世界における究極の虎の巻だと思う。
スタジオフォボスに入った頃、いつも腰にビックミニを取り付けて、
隙あらばシャッターを押していた。夜は酒を飲むかプリントをして、
休みとなればカメラ片手に本屋で様々な写真集を目に焼き付けていた。
その頃、軽く絶望感を感じさせてくれたのが森山大道さんだった。
1964年からカメラマンとしてデビューされて、
私が生きている時間をまるごと写真と戦って生きてきている方の写真が、
地位も名誉も金も実績もない自分よりも、
自由で、貪欲で、エネルギーに溢れているのがとても悔しかった。
しかも辻斬りのごとく街を切り取る技ももちろんだが、
「ぶれボケ荒れ」などと称されてはいるものの、
写真一枚一枚に実に見事にトリミングと焼き込みという
魔法(デザイン)をかけているのが憎たらしかった。
純粋に写真を撮りたいという貪欲な執念のみが生み出す
「もののけ」な写真世界の入り口を、
この人は、力でこじ開ける術を知っているように思えた。
フィルムを入れた際の空シャッターまでも写真とする執念は、
それだけで一杯飲める程、駆け出しの私を苛立たせた。
酔っ払ってビックミニのセルフタイマーを始動させて、
アスファルトの床に向かってサイドスローで投げたりもした。
テーマやテクニックや写真の歴史を忘れる程、
命を削るように大量に撮影した自分の写真と対峙することで、
写真の魔界がようやく口を開けてくれることを、
森山さんから教わったと思っている。
月末に予定している自主作品撮影行で、
頭で考えたコンセプトやテーマなど忘れて
「 量のない質はない」領域に入れるかどうか、
楽しみにしている。
写真はスタジオマン時代、
夜間の仕事中にスタジオを抜け出してタバコを買いに行く際、
私を振り向かせた、、げろを吐く猫。
現実世界を写真の魔界に引きずり込む触媒を見逃さないように、
牙を研いでおこうと思っている。
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