3.31.2012

淀川長治

明日は日曜日、日曜洋画劇場の日である。
最近はめっきりテレビの映画放送を生で見なくなってしまった。

私が小学生の頃は、ほんとに不思議なくらい9時から始まる映画放送を
いつも家族で見ていた記憶がある。
床の間にどっしりと置かれたテレビの横には、
親父が飛べなくなって道端に落ちていたのを保護してきたが、
すぐに死んでしまった夜鷹のガラスケース入りの剥製がいつも飾られていた。
日曜日の夕方、祖母はいつもだまって相撲を見ていた。
そして、食事がはじまりなんとなくサザエさんを見て、
キューティーハニーやバビル2世やミクロイドSあたりが立て続けに放送されて
9時から始まる日曜洋画劇場を見ていた。
映画の無いときは、早く寝るように口うるさく怒られたが、
映画があるときだけは、なぜか免罪符のようにそのまま映画の世界を楽しむことが出来た。
ベンハーやシェーン、猿の惑星、ジョンウエインの西部劇など、
忘れた頃に再放送になったりしていたものなどは、いまだによく覚えている。
そして、映画が終わって流れてくるこの世の終わりのような音楽を聴きながら、
また一週間学校に行かなければいけないという重い空気に包まれていたことを今でも思い出す。
別に学校自体は好きでも嫌いでもなかったが、
毎日毎日、規則的に何かをやることに対するストレスを子供ながらに感じていたんだと思う。
今思えば、普通に就職活動をしないで、規則正しく会社に勤めるということを、
どこかで受け入れたくなかったきっかけになったのではないかと思う程である。
そんな儀式のような日曜洋画劇場の初めと終わりに登場するおじさんが淀川長治さんだった。
淀川さんの「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」というおまじないは、
夢の世界から現実の世界へと引きずりだされる魔法だった。

1997年、雑誌フラウの仕事で淀川さんの撮影のお話を頂いた。
ずっと暮らしていらっしゃった全日空ホテルの部屋で
外国人映画監督のショーン・マサイアスさんとの対談だった。
淀川さんは歩く時こそ、少し足を引きずっていたが椅子に座ればとてもお元気そうで、
子供の頃にテレビを通して聞いていた声そのままだった。
その対談の中で、ご自分が50年前からゲイであるとはっきりとカミングアウトした。
だったら二人のカットは手ぐらい繋いで頂こうということで
撮影したお二人のラブラブな写真は誌面を飾った。

翌年の11月に淀川さんが亡くなられた。
テレビに写しだされた葬儀会場の大きな白バックのモノクロの写真を見て、一瞬驚いた。
雑誌には使われなかったカットとうりふたつの写真だった。
ホテルの壁紙が背景だったのでグレーだったが、背景を白くするのは難しいことではない。
慌てていろいろ調べてみたら、繰上さんが撮影された別の写真のようだった。
なんだか紙一重で、子供の頃に毎週、現実の世界に引き戻してくれていた淀川さんの
最後の写真を撮らせて頂いたような気分になった。

「淀川さん、最近の映画はどうですか?」

いつもブラウン管の中の淀川さんと並んでいた夜鷹の剥製に会いたくなってしまった。
どこかの博物館から非常に貴重な剥製ということで要請があったようで、
親父が寄付してしまった夜鷹の剥製に会いに行きたいと思っている。

Hasselblad 500CM 100mm トライX