たしか1993年頃、父親の写真を撮る半年ほど前に、
現在まで続く自分の写真の方向を決定付けた出来事があった。
その頃は、フォボスでスタジオマンとして働きながら、
暇を見つけては写真を撮り溜めていた。
当時は、自分がどんなジャンルのカメラマンになるのかもあまり意識せずに、
気が向いたものを被写体に選んで撮影していた。
ある時、雑誌だったと思うが、スチールの繊維で出来たジャケットを見かけて、
無性にブツとして撮りたくなって、キャプションに記された電話番号に
連絡をしたら、当時住んでいた代々木上原のすぐそばだったので、
すぐにお邪魔した。
そこは「前田修」さんというパリコレにも参加されている方のアトリエだった。
一通り写真を見ていただき、作品撮りに洋服を貸して頂けないか
お願いしたところ、その場で、とてもユニークな洋服をたくさん見せて頂いた。
雑誌で見たシルバーのスチール素材のジャケットやトレンチコートを初め、
黒いゴミ袋の素材でできたドレススカートや、和紙でできたロングコート、
「洋服ってやっぱおもしれ~~な・・」などと一人静かに興奮していたら、
前田さんが部屋に入って来られて、
「実は、、いい子がいるんだけど、彼女で撮ってみない?」
スタジオフォボスの大きなスタジオで、
一人でライトのセッティングをしていたら、
髪の長い普通の女子学生が頭を下げながらスタジオに入ってきた。
日々のアシスタントの仕事で、タレントやファッションモデルの撮影に
接してはいたが、そこで実際にシャッターを押すためにファインダーを
覗く機会はあるわけもなく、当時はまだ、いいモデルが
どういうものであるのかということを、
体で感じていたわけではなかったように思う。
前田さんを初めとしたスタッフの方々と洋服の見え方や、ライティング、
より引きの構成を立てながら、モノクロのプリントにイメージが近い高感度の
ポラロイド社のポラをNDフィルターを使いながら丁寧に撮影を始めた。
ヘア&メイクとスタイリングを施され、立ち位置に入った女子学生が
3.4枚シャッターを切ったあたりから、急に浮き上がるような感覚を覚えた。
長い髪が風をあててるわけでもないのに、自然にふわっとなびくような・・・
とても不思議な感覚だった。
街中でスナップをしていても、どんなものを撮っていても、
いいのが撮れる瞬間はカメラも被写体も
「ふわっ」と浮かび上がる感覚になることがある。
カメラを触媒にすることで、写真の魔界の扉をこじ開ける魔法を
使う人種こそがいいモデルなのかもしれない。。と、
その時初めて感じたような気がする。
それからパリに渡り、モデルとして活躍する「田辺あゆみ」さんが、
間違いなく既にそこにいた。
3ヶ月ほど経って、その写真が日本のアート・デザイン・ファッション・建築を総括するハードカバーの写真集に8ページで掲載されたということで、
前田さんのオフィスを訪ねた。生まれて初めて自分の写真が数ページに渡り、
しかも美しいモノクロ印刷で掲載されたのを見て、
とても興奮したのを憶えている。
前田さんは、みんなとても素晴らしい写真だったよと褒めてくれた。
ただ、そのあとの言葉が今も心に残っている。
「ただ、、、みんな、あゆみちゃんの写真になってる・・・」
洋服の見え方と構成を考えながら撮影したつもりだったし、
後ろ向きにコートをなびかせて歩く写真もあった。
スタジオに針金をはってブツだけをぶら下げて撮った写真も
透過光でレントゲンのようなスチール繊維のトレンチコートの写真もあった。
この時、ファッション写真の難しさと微妙さを強く認識した。
もちろん、そこにいいとか、悪いとか、、
答えがあるわけでもないことも含めて・・
この帰り道、上原の商店街を歩きながら
「俺は人物を撮る人間になろう」と勝手に決めた覚悟が、現在まで続いている。
彼女がパリのモデルエージェントに入ったという話を聞いた頃、
ドイツのモデルエージェントから事務所に電話があったらしい。
「あゆみの写真は素晴らしかった。あゆみはまだ若いけど可能性を感じた。
ドイツに来てモードを撮ってみないか?」
そんな伝言を頂いたが、当時はJリーグのオフィシャルで
サッカーの写真を撮るのが楽しくて、
「俺にモードはねえだろぅ・・」で連絡先のメモも
すぐにどこかにいってしまった。
もし駆け出しの頃、暇で仕事が無かったら、
随分と違う写真人生になっていたかもしれない。
数年前にBRUTUSの本特集で、久しぶりに田辺あゆみさんにお会いできた。
結婚されてお子様もできた彼女は、その時は魔法の杖は持ってきていないようだった。書店でワンカット、マキナ670で1ロールだけ撮らせて頂いた。
そして、私の中ではある意味・・「人物写真仕事モード第一号」の
オリジナルを、お渡しすることが出来た。
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