初めてインドに行った。
どこの国から入ったかは、忘れてしまったが
テントが立ち並ぶスラム街に囲まれたデリーのドメスティック空港から
白いポンコツのタクシーで街に向かう車窓を見てるだけで、
まるで違う惑星に来てしまったように思えた。
朝靄にかすむ美しい朝日を望む野原で
ぽつんぽつんとはなれてしゃがんでいるうんこをする人達・・・
暑いのになぜか小汚い長袖のセーターを着てる男性達と、
信じられないほど汚いテントから魔法のように登場する驚くほど美しい女性のコントラスト・・・
鳴り止むことのない車のホーンと、車の後ろのホーンプリーズのサイン・・・
どうやっても抜き去ることが出来ない、
2車線分ほども横腹を膨らませて荷物を積んだトラック・・・
高速道路を逆行してあるく牛の群れ・・・
アジアの国を回っている途中で疲れていたせいもあったが、
町場のレストランで辛いカレーとジューシーなチキンを手で食べただけで、
猛烈にお腹を壊してしまった。
そんな中でも、タージマハルやオールドデリーの駅、
大きなモスク等の写真は撮らなければならず、
くも男のように手足が変形している物乞いに遭遇したりするうちに
我ながら昼間から暑いのに長袖のフリースを着るようになっていた・・・
デリー最後の日、繁華街をスナップしていたら、
道端に大きな木製の三脚に乗っかった暗箱のカメラのようなものが目に入った。
近くには初老の男と若者が立っていて、
椅子の上においたフレームに小さな写真がいくつか貼ってあった。
すぐさま、それがそのまま写真館であることを理解した。
おみやげ代わりに長い髪を切るのもいいかな~などと思ってはいたが、
その瞬間、自分へのおみやげは道ばた写真館の写真にすることに決めた。
初老の男に声をかけると、とりたてて笑顔になるわけでもなく、
黙って椅子にすわるように促された。
(「このおっさん、、なかなかやるな・・」)
日陰になった道ばたで、明るい道路方向に顔を向けて座らされた。
背景は小汚い壁である。
カメラは、、、
たしかにレンズは付いていたが、大小の木箱が二つ合体しただけのような
とてもシンプルなもので、横に穴が開いていたので思ったとおり、
その中で現像してしまう昔懐かし・・というか、伝説のスタイルだった。
ふっと合図をして、あっという間にレンズに手をかざしたかと思ったら、
すっとレンズを開放した。
(「こらあ~~!おみやげなんだから、深呼吸くらいさせろや。。
あ、カメラ二つとも首にかけたままやんけ・・・ま、いっか・・」)
で、あっというまにシャッター終了。
それから、その暗箱に手を突っ込んでしばらくもじもじしていた。
フィルム自体の露光というモノクロ写真の1ステップだけなら
メーターなどなくても、そこそこいい結果を得られるだろうが、
この場合、直感的な勘でフィルムは印画紙で代用しているとは思ったが、
・撮影時の露光の露出
・ネガ印画紙の現像濃度の見極め、
・最終コンタクトプリントの露光時間~現像濃度の見極め、
という目で確認できない経験による技が必要になる。
正直、どのくらいの仕上がりになるかわくわくしながら待っていたが、
これまた大した営業スマイルになるわけでもなく、
すこし濡れたままの写真とネガ写真を手渡された。
たしか300円くらいの支払いをした記憶である。
(「さすが。。おっさん。。なかなか、やるな・・」)
当時でさえ、面白い経験だったが、
今となっては、、、
バッテリーも、メディアもプリンターも、、電気なんかなくたって、
すこしの現像液と定着液と印画紙があれば十分写真はサバイバルできることを
思い出させてくれる大事な縦横3,4センチほどの小さな写真である。
(眉毛がないのと顔が疲れているのは、神様のせいだと思えばいい)
この写真館にはもう一度足を運びたい。
ネガ写真のほうが、明らかな水洗不足で茶色に変色してしまったので、
再撮をお願いする為・・・
そして、帰りの空港で地元の大学生のお兄ちゃんに教えてもらった、
インド中から美人が集結するというデリーヒルトン地下の週末のディスコを訪れる為に・・・