『うそおっ....』
昨夜遅く、Facebookの書き込みを見ていて思わず声をあげてしまった。ピーター・ビアードが逝ってしまった。オレを写真の虎の穴に蹴り入れた巨人の一人がまたしても宇宙船地球号からいなくなってしまった。コロナが猛威を振るうNYで認知症を患い半月近くも行方不明で遺体で発見されるなんて....
90年代半ば初めてNYに行った際、確かソーホーあたりのギャラリーを見て回っている時に、ぶっきらぼうな配達員が幅広の2m半はありそうな巨大なキャンバスのロールをギャラリーの店先に投げるようにして置いていった。絵画の大作?のようだが縁は使い古しの雑巾みたいになっているし、巻を止める処置もしていなかった。人目を避けながら少しロールを転がしてみたら、なんとそれはまぎれもなくピータービアードの巨大な象の写真だった。印画部分でさえささくれて毛羽立ち超厚手のバライタペーパーと思える『生地』の縁はこすれてぎざぎざにほつれていた。それが、あまり綺麗とは思えないギャラリーの床に無造作に転がっていることにかなり衝撃を受けるとともに、写真をガラスの中に閉じ込めていない裸の大きな写真の迫力が心に突き刺さった。もしかしたら自分の個展はいつも額装をしないのは、このトラウマのせいかもしれない。
その出会いの直後、アヴェドンのオブザベーションを探してセントラルパーク西側の古本屋街を巡った。スタジオアシスタント時代、金はすべてカメラ機材を揃えるためのもので、写真集は買うものではなく目に焼き付けるものだと自分に言い聞かせていた反動のせいか、デビューしたてで海外に行った時は目を皿のようにして古い写真集をあさっていた。目当ての本はギャラがとんでしまうような値段だったりして、あまりおすすめ感のない棚を物色していたら『THE END OF THE GAME』という見慣れた写真集と同じ文字を見つけた。背表紙が緑に赤文字で自分が持っている同名の本と違うので『ぱちもん?』と思いながらページをめくると、それこそが初版本であることがわかった。『なにこれ...』とマンハッタンで一人日本語しながら、50ドルいかないくらいの値札を確認しつつビニールカバーもついて背表紙に一部破れがあったが綴じもしっかりしていてグッドコンディションなそれを隠すようにどうでもいい冊子(昔は小銭で買えたアヴェドン特集の古雑誌やパリ版エゴイスト)の間にはさんでうかつに値上げされないように何事もなかったように冷静な顔をして支払いを済ませ宿に逃げ帰ったのは懐かしい。いろんな意味で自分史上最高のお買い得お宝となった。
この啓示的な素晴らしいタイトルの本は後に姿を変えて世界中で出版されているせいか、初版本はむしろマイナーになってしまったようだ。後世のものは象中心の写真集となり空撮ものが多く挿入され印刷も紙も変わりあきらかに別物になっている。これはテキスト半分で彼自身によるイラストや取材記、マップ等も収録されて彼によるケニア紀行の本になっている。密猟という重いテーマでもあるがこの動物・人物・ランドスケープの写真達の行間には、テクニックや巧さとは別次元の純粋な写真を撮る冒険心と喜びが満ち溢れている。出会いから25年が経った今の自分のPortfolioが人物・動物・虫・ランドスケープ・ゾンビで構成されていることがまったく不思議ではないほどこの本の写真たちに魅了された。自分が英語圏でネイティブスピーカーだったら偶然のふりをして彼に会って、願わくば一杯やりながら武勇伝の一つや二つ直接聞いてみたかった。コロナ戦時下のNYでの最後の旅は一体どんなものだったのか?最後の日記はだれにもわからないものとなってしまった。ああ、時代が変わる音が聞こえる。彼の名前とこの本のことは永遠に忘れない。
※彼は日記番長でもあり、なんでもかんでも貼り付ける素晴らしい超アナログ日記で有名だが、個人的には日本で過去に発行された『Diary Peter Beard』リブロポート社刊が超おすすめ。
ピーター・ビアードに献杯@小淵沢第2アジトテラス
『THE END OF THE GAME』 Peter Beard
Viking Press@1965 256pages