2009年の9月に講談社週刊現代の吉田さんから電話を頂いた。
吉田さんは以前、月刊現代の40ヶ月に及ぶグラビア「貌」シリーズの連載で
御一緒させていただいた戦友である。
「11月、、海外、行けるよね? 」
「??・・行く行く、、オバマさん?」
「いや、、足の速いやつ・・」
コーディネーター兼ネゴシエーター兼通訳として、
ゴルゴ13な大野さんと3人で11月にジャマイカに向かった。
ボルトは約束の時間に20分遅れてやってきた。
事前に約束していたナショナルユニフォームも靴もメダルも持っていなかった。
さすがジャマイカンである。
週刊現代の新年号のグラビア用であり、
想定していた武器(メダル、靴、ユニフォーム)が無く、
バリエーションは必要なので臆することなく上半身を脱いで頂いた。
鍛えられた黒人の裸は、悔しい程に美しい。
鍛えたというより、われわれ日本人とはあきらかに設計図が違う感じがする。
東京から持ってきた1m80cmのロールペーパー2本と
1台2灯のストロボを使って、30分程で一通りの撮影を終えた。
世界最速の男の素足の写真をきちんと撮ろうと狙っていたのだが、
「きたない足を見せたくない、へんな形してるから」
友人たちも「やめとけ、やめとけ」
そう言われると余計撮りたくなるわけで。。。
何度もお願いしてはみたが、叶わなかった。
インタビューも終わり、ホテルで用意した食事を
フランクにほおばっていたが、飲み物は自前のもののようだった。
実家にもおじゃましてユーセインの御両親にもお会いした。
(地元ではユーセインと発音していた)
とてもおだやかで素敵なお二人で、
動きがとてもゆっくりなのが印象的だった。
なんだか大人であることをゆっくり動くことで表現しているようだった。
とてもダンディーなお肉屋さんである父親に近づいて
「so cool~like a hollywood movie star」と話かけたら、
笑いながらおどけて私の肩を抱いてくれた。
おかげでいい写真を撮ることができた。
ホテルでボルトを撮影した夜、
WiFiのつながるロビーで電話をいじっていたら
ビーチでサッカーをして大騒ぎしているグループがいた。
もしや?と思い見に行ったら、
なんとボルトが友人たちと裸足で削りあいながら、
ボールを追っかけていた。
世界のトップランナーが裸足で思いっきりボールを蹴って、
彼自身もふっとぶくらい削られているのにも驚いたが、
砂だらけになって動きまわる彼らの力強さに圧倒された。
こんな連中と日本代表はサッカーしてるんだと思うと、
かなり尊敬した。
カメラを持って砂浜におりると、
友人たちは始めは暗闇の中からこちらをのぞくプーマのように私を睨んだ。
さすがに怖かった。どうやら幼なじみグループのようだった。
この集合写真は頂かなくてはならない、、
30分ほどして交互にシャワーを浴びる彼らに
「group photo please!」と何度もお願いした。
始めは、「こいつ何言っとんじゃ?」だったがプリーズを繰り返しながら
立ち位置を両手で指し示していたら、なんとなく集まってくれた。
ベタではあるが20人くらいになると、大声の合図が集合写真を決める。
けんかをしたら2秒で負けると思うが、
シャッターを押す間だけはカラヤンにならなければならない。
「Hi~~stop!」6回叫んだだけで翌日まで声が枯れるほど大声をだしてやった。
紙面も飾ったこの集合写真の人数分のプリントは
ちゃんと彼らに届いたのだろうか・・
ジャマイカ最後の夜は屋外に巨大なステージを組んだ
ボルトの世界記録を祝うパーティーだった。
9:58というタイムを冠した催しで
関係者にきくと9時58分スタートということだったので、
ストップランプの壊れたトラックが走る夜の高速を急いだのだが、
一向に始まる気配はない。。。
11時ころになってようやく関係者が入り始めてステージが始まった。
時間を遅らせるというのはこの国の文化かもしれない。。
本場ジャマイカのレゲエのミュージシャンたちが入れ替わりで登場し始めると、
どこからともなく普通にラテックスのパンツを履いて
色とりどりにドレスアップし、
見たこともないような編み込みスタイルのヘアーの女性達が湧いてきた。
プラスチックのカップでお酒を飲みながら、
原っぱにヒールを履いてつま先立ちなはずの彼女たちは
約5時間もくもくと体を揺すっていた。
その場で出会った首都キングストンに住む日本人女性に
殺人事件発生世界No.1の状況を尋ねると
どうも彼らは闘争本能がすぐに発揮されてしまうようで
暴力団の抗争が原因らしいのだが、
結局強いものが現れるとそれを倒したくなるという連鎖が
繰り返されているらしい。
「普通に車に拳銃を置いているので
なにかあるとすぐ撃っちゃうみたい」ということだった。
きな臭い会場を6時間もさまよいながら写真を撮って
朦朧としながらホテルに戻ってデータを整理した。
結局あまり寝ることは出来なかった。
というのも、そのままNYに飛んで
2時間程仮眠をとってすぐにJFKに行かねばならず、
万が一、警察犬がいたらアウトの可能性も憂慮して、
全ての撮影データを吉田さんと大野さんに
それぞれバックアップを持って頂く為だった。
JFKに入る前に吉田さんが
「とりあえず何かあったらデータを日本に届けてから、何とかしますから」
仕事とは、そんなもんである。
何事もなく、日本に到着して新年の紙面を飾ることができた。
本当は表紙ににも使って頂きたかったが、
女性タレントの座を奪うことは出来なかったようである。
ジャマイカは再び訪れたい場所となった。
美しい海と森と、ユーセインボルトの足を撮るために・・・
Canon Eos1DsMkⅢ 24~105