12.22.2012

ワイルドだろ

今年の最後の仕事で望遠レンズが必要になったので、
AF-S NIKKOR 600mm f/4を用意した。

iPhone5

2倍のテレコンTC-20EⅢで1200ミリになるので、月を狙ってみた。

http://www.flickr.com/photos/nakayama1999/8288194866/in/photostream/lightbox/
(D800E 1200mm 1/400s f/16)

D800Eをパソコンに繋いで、ライブビューで撮影した。
絞りによる解像感の違いを見る為に低速シャッターになるせいもあったが、
何より、ソフトのカメラコントロールプロ2を使って、
モニター上でワンクリックで正確にピントを合わせる事が出来る。
カメラのファインダーでは、AFレンズのピントリングで、
天体撮影できっちりピントを合わせるのがシビアだからである。
今回の月の撮影では意外なことに、絞りを16にしたものが
最も解像度がいいように感じた。
テレコンのせいなのかどうかは、よくわからない。

絞り開放付近での性能が少し心配になったので、
例によって多摩動物園にフィールドテストに向かった。

動物園にいる動物達が、それぞれどんな生い立ちで、
どんなことを思いながら生きているのか、いつも考えさせられる。
視線は虚ろで鉄製の壁に体当たりを続ける鹿、
プレデターのような雄叫びをあげ続ける生傷だらけのオスライオン、
牙を抜かれたようにぐうたれて寝てばかりのオオカミ、
ものすごい鎧を着て、夢遊病のように同じところを歩き続けるサイ、
なんでもかんでも「かわいい」と評される動物園の動物達の、
視線の先に何があるのか、とても興味深い。

「ワイルドだろ@多摩動物公園 Dec.20 2012」
 by Nikon D800E, AF-S NIKKOR 600mm f/4
http://www.flickr.com/photos/nakayama1999/sets/72157632303677602/show/

ライオンだけが、テレコン装着による1200ミリ。
残りは、全て600ミリ。
心配していた絞りは、5.6か6.3あたりが最も美味しそうである。
VR(ブレ防止)の効果はたしかに感じられたが、
撮っている最中に超望遠のせいかファインダーがずれて見えることがあり、
狙いがはずれる感じがして、気持ち悪い。
仕事の際は、どうせそれなりのシャッタースピードで切るので、
VRはオフにして臨んだ方が、ストレスが無いと思う。

このレンズとカメラを一脚に載せて、半日(5時間)園内をくまなく歩いたが、
データは32GBのカードを2枚使いきってRAWのみ1450枚。
さすがに全身の筋肉がパンパンになってしまった。
もちろん、定価150万円レンズでもあり、決まった時の性能は素晴らしい。
ただ、600ミリだと長過ぎるシーンもあって、
営業中に引きで撮ろうとすると他のお客さんに迷惑をかけてしまう。
何を狙うかにもよるが、もしかしたら70-200あたりのズームで
テレコンを使って400ミリくらいのほうが身体にもいいかもしれない。
D800Eの3600万画素なら、500ミリ換算位にトリミングしても
全く問題はないだろう。

一つ気になったのは、園内に喫煙所があまり無い事だった。
非喫煙者の方はお笑いになるかもしれないが、
一服することによって、自分の中の引き出しをひっくり返す時間が出来たり、
新たな狙いどころを閃くことも多い。
煙草くらい吸いながら、スローな写真を撮っていきたいと思っている。

最後におまけの一枚。
トラがすれ違い様に、威嚇し合ったので発作的にシャッターを押した。
自宅に戻り画像を確認していたらトラパンチが写っていた。
あの早さで、この手でビンタを食らったとしたら、、、、

「ワイルドだろ」

iPhone5 モニター撮り

12.05.2012

五代目 中村勘九郎

ネット上で見た「勘三郎さん死去」の文字を見て、
思わず「えっ」と大きな声を出してしまった。
とっさに名前の勘違いであってほしいと思いながら、
調べてみたら、五代目勘九郎さんだった。
とても、悲しい気持ちになった。

1998年、大河ドラマ「元禄撩乱」の撮影がスタートした頃に、

月刊現代の「貌」シリーズの連載で撮影に伺った。
歌舞伎役者であるという先入観以外は特段もっていなかったが、
インタビューや撮影時に感じた人柄に一目惚れしてしまった。
歌舞伎役者の息子という宿命に真っ向から向き合っていながら、
誰に話をするにも、決して偉そうに振る舞うことなくフランクに接して、
集まった人達に気持ちよくそれぞれの仕事をさせてくれる
素晴らしい人生の先輩だった。
同時に、大工の頭領のような肉体労働者的べらんめぇなエネルギーと、
アーティストとしての繊細な感覚を合わせ持っているような、
世界のどこでもこのまま通用するジェントルマンだと感じた。

Hasselblad 903SWC f8 1秒 EPN

インタビューの中でも触れているが、仕事の話もそこそこに、
「楽しさ」や「遊び」をとても大事に生きていることが
ひしひしと伝わってきて、それがまた最高に素敵だった。

宿命の歌舞伎の世界に、新しい「遊び」を持ち込みながら、
精力的に仕事をして、恋をして、酒を飲む。

いつか、再び撮影をさせて頂く機会があったら、
勘九郎さんがどんな顔でお酒を飲むのか拝見したかった。
かっこいい「オトコ」がまた一人いなくなってしまった。

Hasselblad 500CM 100mm EPN

先輩に負けないように、楽しく生きなければと思う。


合掌

10.28.2012

Celestia

ネット上で見つけた宇宙旅行ソフト「Celestia」
若干、星のテクスチャーが歪んでるのを我慢すれば
銀河の彼方まで宇宙旅行と撮影が楽しめる。
(撮影はMacで画面キャプチャーshift+command+3キー)
人工衛星などのテクスチャーが少しお粗末なのが残念である。

細かい操作をしなくても、メニュー〜位置〜天体ブラウザから
お好きなターゲットを選択すれば自動的に飛んでいってくれる。
星座等の表示も出来るので、そこそこ楽しめそうである。

水星

土星

火星
地球



リアルな実写の月
ニコンの新しい2倍テレコンのⅢ型+70-200Ⅱ
コンピューターグラフィックと実写真の違いや意味は、
いったいどこに向かうのだろう。

10.24.2012

森 繁和

先週、行われていたクライマックスシリーズジャイアンツ対中日戦で
森繁和さんと落合博満さんがBSで解説をしていたことを後から知った。

前年までともに率いていた球団の大事な試合を、
このお二人に解説させるとはテレビ局も乙なことをするものである。
お二人が何を口にしたかとても興味深い。
録画しなかったことを後悔している。

森さんは、落合監督の右腕として主に投手陣をコーチしていた方である。

半年前に、森さんの書籍「参謀」の
表紙の撮影をさせて頂く幸運に恵まれた。

講談社の木所さんと打ち合わせをして、
背景はシンプルに白に決めた。
落合さんの少し前に発売されているベストセラーに負けない
シンプルで強いものというオーダーだった。
撮影場所は、霞町ちかくのイタリアンレストランの個室だった。
そんなに広くなくても平気だとは言ったものの、
部屋の真ん中の動かしようのない重く大きなテーブルを見た時は
「せまっ」とつぶやいてしまった。

迷わず椅子の後ろの壁に白いペーパーを貼って、
両サイドからバック飛ばしにストロボを立て、
物理的にしかたなくテーブルの反対側にメインのライトを立てた。
ちょうど、食事をしながら向かい合う様な間合いでのセッティングになった。
テーブルの上にはもちろん宝刀のハッセルのHを準備した。

程なく、ピンストライプのスーツを着た森さんがいらっしゃった。
やはりテレビで見るより一回りも二回りも大きな方だった。
大変、失礼かもしれないが、もし顔を知らないで
黒い車から降りてきたら、間違いなくよけてしまいそうな迫力だった。

さっそく撮影ということで、顔を拝見したら
唇が乾いていた気がしたので、飲み物を尋ねた。
そんななわけで、大きなグラスで赤ワインを傾けながらの撮影となった。

マスコミで揶揄されるような怖いイメージを持っていたが、
色付きの眼鏡のそこで優しく笑う目がとても印象的だった。
ここでは書けないような話で盛り上がりながら、
楽しく撮影させて頂いた。
一見大胆にぶっきらぼうに話しているようでいて、
実はとても繊細に言葉を選び、余計な事は決して口にしない森さんが、
選手達の人望を集めている理由がわかったような気がした。

めでたく表紙を飾った写真は、私が一押しでセレクトしたものだった。
森さんの優しさと軍師としての勢いがあると感じたものだった。
さすがの不思議な迫力に、本が発売されてから、
「レジに持って行きにくい」「怖いw」などと
WEB上でかなり話題になったようである。

発売してすぐに増刷となり売り上げも好調らしい。
野球好きな方には、とても楽しめる内容になっているので、是非。
カスタマーレビューもなかなかいい。

Amazon 「参謀」

今年はユニフォームを脱いでいた森さんだったが、
是非とも再びユニフォームを着た
軍師としての森繁和さんが見たいと思っているのは
私だけではないはずである。

ページ上左のタブのPortfolio v.2より

10.01.2012

Lexar 1000倍速 CFカード

三年間ほど使っていた128GBのUSBフラッシュメモリーが、
まったく認識されなくなってしまった。
撮影後にばたばたしながら電源供給してHDDにバックアップを取るよりも、
片付けながら簡単にバックアップを作る為に、
当時は、まだかなり高額な気もしたが購入したものだった。

手のひらに収まって、持ち運びも楽だし、
電源が無くてもバックアップを作る事が出来るので
とても重宝していた。
ウサインボルトをジャマイカで撮影した時
朝の6時までジャマイカの屋外パーティーを撮った直後に、
NY経由で帰国する時は、さすがに警察犬のお世話になるかも知れないと
オリジナルのRAWファイルを記録したその小さなUSBメモリーを
編集の吉田さんに渡して「何かあったらこれで。。」とひやひやしながら
JFK空港を歩いたのは、いい想い出である。

そんな想い出深い小さな黒いUSBメモリーが、
なんの前触れもなく役立たずなゴミになってしまった。

フラッシュメモリーで、以前から気になっていた事があった。
いつかは、必ず壊れると言われるメモリーだが、
内部に使っているパーツがSLCチップかMLCチップによって、
書き込み回数の寿命が異なるらしい。
幸いなことに、今回のメモリーが壊れたことでの
バックアップしていないデータの消失は免れたが、
そのチップの違いを急に意識することになった。
もちろん詳しいことはわからないが、
ネットで調べると、MLCチップが1万回、SLCは10万回などと書いてある。
一万回なんて使わねえしと言いたいところだが、
よく考えると、何をもって書き込み回数をカウントするかは疑問だが
一万枚の写真データの書き込みは確かにやっている。

というわけで、気になっていたSLCチップを採用していると自社で謳っている
Lexar CFカード 32GB 1000倍速 UDMA7を購入してみた。

by iPhone 漫画カメラ

現在、日本のカメラマンの中で最も評判がいいとされる
SanDiskのExtremeProのCFカードと対決して頂いた。
ちなみにSanDiskの製品がSLCチップを採用しているかどうかは、
ネット上での決定的なページは見つける事が出来なかった。

まずは、フリーソフトのXbenchでディスクスピード検証。

カードリーダーはSanDiskのFW800タイプ
クリックで拡大

そして、Nikon D800でシングル刺しで、RAWデータのみで
15枚連射して、バッファの枚数がデフォルトの16枚表示に戻るまでの
時間を計測した。
(速度の遅いカードではデフォルトのバッファ枚数は15枚になる)
レキサーは約9.5秒
サンディスクは約12.5秒

ベンチテストの細かい数字の意味までは理解しかねるが、
レキサーのほうが、テストを終えるスピード自体が早かった。
そしてカメラのテストでは、バッファ枚数が戻るスピード自体が
レキサーのほうがかなり早い感じだった。
たかが数秒の差だが、現場では一枚押せるか押せないかの差は
絶対的に大きい。

SLCチップ採用で、バッファの復帰が最も早いということは、
価格以外では、選択肢がないということである。

きちんと同梱されるべきImageRescueというデータ復旧ソフトの
シリアルナンバーの用紙も入っており、無事にアクティブ可する事も出来た。
現状ではおそらく世界最速クラスのCFカードを手に入れたようである。
(気をつけなければいけないのは、ダブルスロットルの片方に
SanDiskExtremeProの32GBSDカードを入れた同時記録の場合、
カメラのバッファーの戻りは遅くなった。
つまり、この最速カードの実力を発揮するには、
サブにはjpg保存にするか、一枚刺しが望ましいだろう。)

ちょうど、世界最高のアスリートの撮影依頼も頂いた。
バッファ復帰中のライトに文句を言わずにすむかどうか楽しみである。

9.28.2012

城島健司

近くの蕎麦屋に夕食に出かけた。
いつものようにスポーツ新聞を拡げたら、
城島選手の引退という文字が踊っていた。

城島選手を撮影させて頂いたのは2度。
一度目は、16年前、
デビューして頭角を現し始めた二十歳の城島選手だった。
雑誌ポパイの20周年を記念して、
二十歳の有名人を十数人撮影したうちの一人だった。

グランドで待っていたら、見るからに爽やかな
それでいて、すこしやんちゃでハンサムな城島選手の登場に、
もう、そのまんまでっ!ということで、写真を撮らせて頂いた。
とてもフランクで気さくな話し方が印象的だった。

Hasselblad 500CM 80mm

それから10年後、
2度目の撮影は2006年、ナイキの野球用カタログの撮影だった。
メジャーリーグで大活躍しての凱旋帰国中に
故郷の佐世保の体育館で、
バックペーパーと大型ストロボを持ち込んで撮影した。
(データを見ると絞りが16になっている。
何も考えずにフィルム時代と同じに絞っていたのが懐かしい)

手に入れたばかりのEos1DsMarkⅡ 70-200mm
海の向こうで、ベースボールという野球とは少し違うスポーツにおいて、
ルールもピッチャーの性格も異なるにもかかわらず、
捕手としてレギュラーを勝ち取った彼は、
新たに身につけた筋肉の鎧で一回りも二回りも太く大きくなっていた。
野太い声ではあるが、言葉を選びながら優しく話す姿を見て、
彼のアメリカでの苦労や経験をひしひしと感じた。


野球もベースボールも第一線で活躍して、
捕手を務めながら、バッティングも素晴らしい成績を残している。


しかも、自らの捕手の経験を活かして盗塁も決める。



そんな二十歳だった彼もとうとう引退である。
あれから、もうそんなに時間が経ったのかと、
蕎麦をすすりながら、ため息をついた。

ここだけの話、城島さんの顔つきは、
野球界のメル・ギブソンだと勝手に決めている。
そのうち大河ドラマあたりに登場してもおかしくないと思っている。

9.19.2012

Black Writing Fluid 墨汁

先日、東京写真研究倶楽部に行ってみた。
会費は撮影する人は3000円、ひやかしは1000円。
あらかじめ提案された内容にそって、自分の用意したブツや、
ポートレート等を撮影する。
夏に行った「企救中」写真展にも高井さんには来て頂き、
APAでもお世話になっていることもあり、いい歳こいて参加させていただいた。
水物の撮影日ということで、高井さんにお許しを頂いて、
洗えば落ちるという墨汁を購入し、パソコンとカメラを持参した。

ヒヤヒヤしながら、後ろで見ている高井さんに、
4×8のアクリルを汚したら、買取だぞと釘を刺されながらも、
用意して頂いていた養生された立ち位置で、墨汁をぶちまけた。

何を隠そう、墨汁をぶちまけるのは、自宅の風呂場でも出来るし、
実際に何度も風呂場で水を使った撮影はしている。
なぜ、わざわざ、高井さんの顔色を伺いながら、出向いたかというと、
高井さんのスタジオの大型ストロボはブロンカラーだからである。
高速閃光の撮影において、大型ストロボを使うなら
選択肢はほとんどないといっても過言ではない。
思ったとおり、水の激しい動きもぴったし止まっている。
通常の大型ストロボも最小パワーで発光させれば
そこそこ止まるが、ここまでぴたりとは止まらない。

右手で墨汁を投げて、左手でレリーズを押すという状況で、
何も写ってなかったり、思うように形にならなかったりした。
墨の量が少ないのが、気になっていたが
なんとか、撮影することができた。

高速撮影は、なんとも面白い。

Roy Tanck's Flickr Widget requires Flash Player 9 or better.

Get this widget at roytanck.com

選んだ写真を、ネット上でつくれるフラッシュにしてみた。
Flickr widget
フリッカーページのfeedのリンクをコピーすれば簡単に作成できた。


9.09.2012

フレスコジクレー

昨日、所属している日本広告写真家協会APAが定期的に行っている
カメラマン自身による写真の上映会に参加した。
大先輩の小島由紀夫さんがその際に見せてくれた
小さなインクジェットプリントにドキッとした。
フレスコジクレーという、漆喰をインクジェット用の紙にしたものだった。
なんともいえないテクスチャーと物質としての存在感を感じて、
すぐに試してみたくなった。

新宿のヨドバシで在庫を確認して、先ほどテストパックを持ち帰った。
慌ててテストしたために、マットブラックに差し替えるのを忘れてしまい、
4枚しか入ってないのに、一枚を無駄にしてしまった。

写真やデータの入った丁寧な解説を読み直し、
手差しで慎重にプリントしてみたが、
正直なところ、かなり手強い。
まず、インクの滲みがかなり出てしまうようである。
もちろん湿度やロットの状況もあるだろうが、
開封してすぐにプリントしているにもかかわらず
これだけ滲むのには驚いた。
しかも乾燥して色が落ち着くまでにかなり時間もかかる。
推奨プリンターがPX5Vであるのも、少し気になるところである。

1996年に初めて見たミケランジェロの漆喰の天井画の写真を、
ひさしぶりに引っ張りだした。
そして、約500年の時を経て、再び漆喰のインクジェットペーパーに定着させた。
不便なことはいいことだ。
しばらくは写真ルネサンスで遊べそうである。

オリジナル:Hasselblad500CM 80mm 開放 1/125 ISO400ネガ
iPhone4

8.27.2012

Scribbler

最近使っている2TB×2個入りの秋葉館のハードディスクの残量が少なくなってきたので、
古いハードディスクの点検をかねて、あれこれ繋いで振り分けつつ
ネットでうろうろしていたら、おかしな落書きツールページを発見した。

Scribbler


ファーストタッチ

バッタのつもり・・

先日の写真展の写真を見ながら・・・
「企救中」の方ならだれかわかるはず。

烏賊のつもり

8.16.2012

夜の公園(野生の王国・蝉編)

先日、いつもの公園で久しぶりに蝉の顔でも撮ろうかと昼食後に行ってみたら、
ビギナーズラックともいえるショットをものに出来た。


せみの大きさになると斜めから抜くとどうしても片目にしかピントがこなくて
迫力に欠けることは想定できたので、
どうしても正面で顔のアップを狙いたかった。
かなりの蝉に一瞬で逃げられたがこいつだけは大人しく撮らせてくれた。


やりゃできるじゃねえかという気分で、羽化したての黄緑の蝉の顔を狙うつもりで、
夜中の公園に行ってきた。
生命の輝くような美しい顔と体を撮ろうと意気込んで向かったが、
公園に一歩足を踏み入れた瞬間から何か昼間とはまったく違う
おどろおどろしい雰囲気にぞっとした。
昼間は騒がしく鳴いている蝉の声はなく、ときおり闇夜のからすのような、
「ジジッ」という不気味な蝉の鳴き声が聞こえる。
そして、わたしの気配を察知して蝉達がばたばたと飛びたつ。
公園の真ん中にある大木の根元には、蝉の幼虫が出てきたと思われる
1センチほどの穴が無数に空いているのを確認していたので、
そのあたりをLEDの小さなライトで照らしてみた。
すぐにもぞもぞとうごく蝉の幼虫を2匹発見した。
しかし、彼らは黒い小さな物体の集中攻撃を受けて
羽化するどころか、断末魔の叫びをあげるようにかすかに手足を動かしていただけだった。
何年も地中で暮らし、最後の夏に地上に這い上がり、
真夏の夢を見るようにすがすがしい気分で木に登って殻を破り、
羽を伸ばし、空を舞い、大きな声で叫んで一生を終えるなどと、
おとぎ話のようなイメージしか持っていなかったが、
現実は、とんでもなく過酷な弱肉強食の世界が繰り広げられていた。
おそらく、穴から出てきて、なにかのトラブルで動きが遅くなった瞬間に
蟻達にとりつかれて、みるみるうちに体中の隙間から致命的な攻撃を加えられ、
餌食になってしまっているようだった。




昼間のこの公園は何度も行っているが、抜け殻でない幼虫の亡骸は見たことがない。
おそらく、蟻達は狙った幼虫を、一夜のうちに解体して
地中の巣に持ち込んでいるからだと思われる。
あたりまえのように無数に木に残っている蝉の抜け殻も、騒がしく鳴く蝉達も、
そんな蟻の攻撃や様々な困難を乗り越えて存在していた奇跡に衝撃を覚えた。
そもそも生き物は精子のころから、優秀なものだけが生き残るというシステムはあるわけだが、
モデルになってくれている虫達も、そんな過酷な生存競争を生き延びて存在しているという
当たり前のことを強く認識することになった。

のんきに感動して、ろくな鎧も持たない人間には、
昼間は比べ物にならない程の藪蚊が血を吸うために集まってくる。
蚊の攻撃に備えをして、夜の公園という状況であるので出来れば複数で
夜の公園の身近な虫達のもうひとつの世界を是非確かめて欲しいと思う終戦記念日。

おそらく天寿をまっとうして、木から落ちた油蝉が、
砂の上で最後の力をふりしぼって身構えていた。
彼はこの目でどんな世界を見て、どんな一生だったのだろうか・・
きっと我々には想像も付かないようなことばかりだったに違いない。




8.09.2012

「企救中」北九州展閉幕


中山達也写真展「企救中」北九州展は無事に閉幕しました。
連日36度の暑さの中、御来場いただいた皆様、お花を届けて下さった皆様、
お菓子やお酒やパン・おにぎり、煙草等を差し入れてくれた皆様に
心より御礼申し上げます。
ほんとうに、ありがとうございました。
(こまかい出来事はFacebookに写真を少しあげています。右側のFacebookのアイコンから是非)







御来場くださってご挨拶をしてお茶を手渡しした後、
皆様の口数がだんだん少なくなり
真剣な顔つきになって写真と向き合っている姿がとても印象的でした。

口ではうまく言えないですが、
今回の写真たちは、単なる私自身の写真作品という枠を超えて、
見に来てくれた同級生それぞれの中に何か新しいものとして
生まれ変わったような気がしました。

そして、こころに残ったのは「ありがとう」という言葉でした。
語尾の「とう」を上げるようにして、
同級生達皆が口にする「ありがとう」を毎日ずっと聞いていました。
地元の言葉で普通に挨拶をしただけで通報されたという伝説もある、
ある意味荒々しい小倉弁をフルタイムで使いこなす同級生達が、
お茶を受け取りながら「ありがとう」
お茶のお代わりを注いでも「ありがとう」
写真を見て「ありがとう」
乾杯しても「ありがとう」
しこたま飲んで別れる時も「ありがとう」
と、自然に普通に「ありがとう」を連発する姿に不思議な感動を覚えました。
いかついイメージしかなかった小倉弁ですが、
今回の旅でもっとも代表的な小倉弁が「ありがとう↑」であることを
小倉生まれの企救中育ち48歳は、気付きました。

お酒を飲みながらの、はたからみればぶしつけな物言いも、
真剣に相手とストレートにコミュニケーションするためのものであり、
お互いを認め合うがゆえの言葉でもあることも感じました。
高校卒業後、ほとんど顧みることのなかった小倉で
いろんなことを学ぶことができました。


写真クリックで大きくなります↓

写真展でみずからの等身大の写真を見たスーパーモデルな同級生達は
居酒屋の帰りしなに、こんなに素晴らしい集合写真を撮らせてくれるやつらになっていました。


いつの日か、再び魂の叫びが聞こえたら「企救中2」に挑戦しようと思っています。

みんな、ほんとうにありがとう

7.30.2012

「企救中」東京展閉幕・篠原信一

写真展「企救中」東京展の撤収が完了しました。
暑い中、会場に足を運んで頂いた皆様、心から御礼申し上げます。
どうも、ありがとうございました。
たくさん頂いたお花は、部屋のコーナーに置かせていただきました。
モノクロの肖像写真達と、花の色と香りのコントラストが会場を包んでいました。
山のように頂いたお酒やお菓子は、
夕方以降に来ていただいた皆様と美味しく頂きました。
持ち帰ったお酒は、ゆっくり頂きます。

ほんとうに、ありがとうございました。

8月の3日から北九州展が始まります。
巨大な写真約50枚を特注のケースで新幹線で運びます。
ヘリで簡単にいける山の頂に向かって、歩いて登山をするような気持ちで
同級生達を連れて帰省したいからです。
どうやら台風も連れて行くことになりそうですが、
是非とも、お誘いあわせの上、御来場下さい。
よろしくお願い致します。

中山達也写真展「企救中」詳細



東京展が無事におわり、
久しぶりにゆっくりした気分で風呂上りにテレビをつけたら、
柔道の海老沼選手の試合が行われていた。
なんとなく延長戦になり、勝負が付かないまま
判定となって唖然とした。
どうみても優勢であるはずの海老沼選手とは反対の旗が3本上がったのである。
その瞬間、観客席で手を広げて声をあげている篠原信一さんが画面に映った。
2000年のシドニーオリンピックで疑惑の判定で優勝を逃した篠原さんだった。

今から12年前、シドニーオリンピックの100キロ超級で出場を決めた
篠原さんを取材するために奈良の天理大学を訪ねた。
広い体育館のような柔道場では、たくさんの生徒さんたちに混じって
オリンピックに出場する選手も普通に練習をしていた。
慣れた畳の上で、オリンピックに向けて調整していると思われた。
暑かったこともあり、狙うのはやはり汗である。
丸太のような腕で帯を直している篠原さんに近づいて
とにかく汗をかいたままの状態で撮りたいので、
小休止の時に、汗を拭かないまま、
小さな部屋にセッティングした椅子に座って欲しいと伝えた。

Hasselblad 500CM 100mm トライX
練習が終わって、とてもさわやかな篠原さんが登場したので、
迷わず、さわやかな写真を撮らせて頂くことにした。
「キムタクみたいに撮ってくださいよ」と野太い声で言われた。
「こないだキムタク撮りましたけど、ぜんぜん篠原さんのほうがかっこいいすよ」
篠原さんのこれほどの素の笑顔は、この時以降拝見した覚えがない。

Hasselblad 500CM 150mm EPN

完全に誤審とおもわれるシドニーでの決勝戦敗戦の後、
優勝というタイトルを獲ることなく引退された。

おそらく我々が想像できないような想いがあったに違いない。
誤審についてあまり多くを語らない篠原さんの生き方には共感するところも大きい。
想像ではあるが、格闘界からの誘いもすごかったはずである。
柔道家として、日本の代表監督を務める篠原さんを男として大好きである。

後輩の日本人選手が再びあきらかな誤審で敗れようとしているデジャヴを、
テレビに映る篠原さんがどういう思いで叫んでいるのかを想像するだけで、
胸が詰まる思いだった。

柔道は、もはや柔道ではなくなってしまったのかもしれない。
フランス・ブラジルの子供達は柔道を自国発祥のスポーツと思っているとも聞く。

ロンドンオリンピックで、再び篠原さんのあの笑顔が見れることを祈念している。

7.15.2012

写真展「企救中」~機材について~

夏だ、オリンピックだ、企救中だ!!

というわけで、来る21日から始まる写真展「企救中」の
撮影・プリントで使用した機材等について記しておこうと思う。

・使用カメラ
Hasselblad H3DⅡ-39
8×10にするか、ローライフレックスで撮るか一瞬迷ったが、
最終プリントを自分自身の手で数十人分の等身大インクジェットプリントに
したかったこともあり、プリントのテストをして、デジタルカメラに決めた。

・レンズ
HC80mm
本当は120ミリも使うつもりだったが、
現場のひきが80ミリでもぎりぎりなことが多かった。

・ストロボ
フォトナ武蔵1200(一台3灯)
企救中学校・居酒屋・スナック・カラオケルームで
メインライトにPHOTEK softlighterを装着。
残り2灯はバック飛ばし。
カラオケルームでモデリングを点けたまま、みんなで歌っている間に
ディフューザーが炎上した。
メインライトの高さを、頻繁に上げたくなったが、
天井が低くて天井に傘を押し付けて撮影することが多かった。


・バックペーパー
Superior1.35m幅(スーパーホワイト)


・インクジェットプリンター
EPSON PX-9500N

・インクジェットペーパー
ピクトリコ 月光ブルー
(原紙サイズを6×8比率に横幅をカット1080mm×820mm)
意外だったが、月光ブルーはロール紙は存在しない。
一枚一枚、口と手を使って、丁寧に給紙を行った。
Silver Efex Proというソフトで明るさとコントラスト調整、
擬似的なフィルム粒子状のノイズを加えている。


まさか、初めての個展でデジタルカメラで撮影して、
インクジェットプリントを展示することになるとは、
独立した18年前には、とても考えられなかったことである。
現像液を使ってプリントするのと同じような気持ちで、一枚一枚プリントを行ってきたが、
むしろ大判のプリントを大量に作るのであれば、大正解だったと思っている。
もちろん、アナログの銀塩モノクロプリントに比べれば、
ハイライト側とシャドウ側の諧調がどうしても弱い部分も出てくるが、
今回の作業を通じて、デジタルに対するコンプレックスは
ほとんど無くなったような気がしている。
どうしてもフィルムが必要な時に、選択すればいいだけのことである。
微妙なトーンや希少価値や保存性といったことを抜きにすれば、
写真がデジタルかアナログかを気にするような時代は
とっくに終わっているのかもしれない。
「写真はアナログだろ・・」などとほざいていた男の
初インクジェット写真展を是非とも見て頂きたい。



★いよいよ、来週21日(土曜日)より、東京展の開催です。
嬉しいことに、お酒等の差し入れ予告を頂いているので、
初日21日18時あたりから、お集まりいただいた皆様と乾杯したいと思っています。
是非、お誘いあわせの上、御来場下さい!
どうぞ、よろしくお願い致します。


中山達也写真展 「企救中」 詳細



7.02.2012

D 800撮り下ろし 5人展

新宿と大阪のニコンプラザで、
D 800撮り下ろし 5人展開催中です。

新宿西口の小田急ハルクの斜め向かいの新宿エルタワーに入り、
28階のエレベーターの扉が開くと、目の前にスカイツリーが飛び込んできます。
ニコンプラザ新宿というショールームの中に、
一人3枚ずつカラーのA2サイズの写真が15枚並んでいます。
独立したギャラリースペースではありませんが、
高層階の窓の景色も楽しめる気持ちの良いところです。
設置の準備で伺って、窓際に設置された望遠鏡で遠くを眺めて遊んできました。

5人全員がD800というカメラで撮った写真達です。
5人中、D800Eは私一人です。
ハエ・クモ・アブのマクロ撮影によるノートリミング写真3点です。
モニターで見るのとはまた違う感じで、
かなり強烈なラムダプリントの解像感を感じることが出来ると思います。

お近くにいらした際は、是非。

期間:2012年6月30日(土)~7月31日(火)
時間:10:30~18:30

会場:新宿フォト・プロムナード
住所:東京都新宿区西新宿1-6-1
        新宿エルタワー28階 ニコンプラザ新宿

会場:大阪フォト・プロムナード
住所:大阪府大阪市北区梅田2-2-2
        ヒルトンプラザ・ウエストオフィースタワー13階
        ニコンプラザ大阪
(大阪は写真のサイズが少し小さいようです)
展示写真のトリミングです
D800E EL Nikkor50f2.8N逆付け BR-2A PK-13×2 ISO100 f11 1/200
ハエの目です。

6.23.2012

石原慎太郎

たしか西暦2000年だったと記憶している。
石原さんが、都知事に就任して一年くらい経った頃、
月刊現代の貌シリーズの連載で都知事室にお邪魔した。

部屋に案内されて、挨拶を交わして、インタビューが始まるころ、
限られた時間内に3カット頂くミッションをクリアするために、
きょろきょろしつつ、知事の机の内側になにげなく回り込んだら、
部下の方に「そこは、、ちょっと・・」と制止された。
そしたら、石原さんが「だいじょぶだよ、彼も仕事だから。。」と
自由に、部屋中を動き回ってアングルを探すことができた。

軽いインタビューを終えて、用意したナショナルのグリップストロボに傘を付けて、
背景用に編集の吉田さんに黒い別珍の布を手で持ってもらってモノクロのカットを撮影した。
この時は、あまり政治家っぽくしたくないと閃いて
やや上からカメラを構えた記憶がある。
いろいろな武勇伝を聞かされていたので、
初めから、怒らせてしまうと残りのカットがコントロールしにくくなるので、
最初のモノクロのカットは、あまり攻めずにトライX2本で撮りきった。

Hasselblad 500CM 100mm トライX

2カット目は知事の椅子に座ってるところを頂いた。
構成的にあったほうがいいと判断したことと、
椅子に座って頂いて写真を撮りながら、いくつか言葉をかけようと思ったからである。
撮影しながら、壁に貼られている石原裕次郎さんの絵を指差して、
「石原さんが描いたものですか?」と尋ねた。
そしたら、椅子から立ち上がってかなり厚手の画集を持ってきて、手渡して見せてくれた。
作戦通りである。
大物の撮影の時ほど、感じたことを素直に口にすると、写真が面白くなる気がしている。
時間があまりないわけだが、あえてゆっくり画集を見せていただいた。
繊細な細かい線のデッサンが多かったのは少し意外だった。
そして、いちかばちかの言葉をかけた。
「石原さん、絵うまいっすねぇ~~~」
この言葉が相手にどう伝わるかで、3カット目に何が狙えるかが左右されることになる。
結果は上々だった。そうなんだよ、けっこう上手いだろ、みたいな返事をされて
す~~っと、言葉が通じる空気になった。
そして会話をしながら都知事の椅子での撮影を終えて、
すぐに3カット目のことを持ちかけた。
「石原さん、裕次郎さんの絵の前で撮らせてもらってもいいですか?」
ほんの一瞬、現場の温度が2度くらい下がった気がしたが、
石原さんは、すぐに、快諾してくれた。
ほんとうは立ちで撮るつもりだったが、そばに椅子があったので、
なんとなく椅子を動かして座って頂いた。
そして無意識に口から出た言葉が「石原さん、都知事じゃない石原さん撮ります」
石原さんは何も言わずに、目線を外してくださった。

Hasselblad 500CM 50mm EPN

実は結構、好きな写真である。
初めて会うカメラマンに快く仕事をさせてくれた石原さんをかなり好きになった。
やんちゃな作家と都知事という2面性を持った紳士であると同時に、
古きよき時代の日本人の魂をもった侍なおじさんだと思っていた。

そんな石原さんの気になる写真を、FB上で知り合いの方が教えてくれた。
http://www.asahi.com/national/update/0621/TKY201206200855.html
きっと気持ちの若さゆえのアクションだったに違いないとは思う。
ただ、都知事という立場で32万人の署名を否決してからとる行動ではないと思う。
石原さんは、ぶら下がりの記者達にぶしつけな言葉で話をするのは
よく目にするが、アレはアレで聞くほうも聞くほうだが・・・



なぜ、政治家は、いろんなことをきちんと自分の口できちんとした機会を作って
説明してくれないのか?
マスコミ、特にテレビは、なぜ国民の生活に関する意思決定をきちんとした時間をもうけて
政治家に話をさせないのか?もっとそういう報道の枠を増やすべきではないのか?
もっと落ち着いて、責任ある発言をさせる機会をつくるべきである。
消費税増税したほうがいいという判断をするのであれば、
責任者がきちんとわかりやすい言葉で説明するべきである。
与党内部で誰が賛成するとか反対するとか、
政治評論家がべらべらしゃべる時間があったら
もっと本質的なことを政治家がきちんと声にだして
話すべきだと思うのは私だけなんだろうか?
日本の総理の立ち止まり発言なんて、
新橋の酔っ払いのおっさん以下のことしか話していない。
いろんなことがおかしなことになってる今、
国民の前で正直に、率直に話が出来ない政治家は即刻辞めるべきである。

結局、原発も再稼動に舵をきるかもしれない。
福島原発の4号機のプールだっていつゲームオーバーになるかもしれないような時に、
まったく、頭がおかしいとしか思えない。
停電と子々孫々まで苦しむ放射能とどっちがいいか、
いつまですっとぼけたふりをするつもりなのか?

国民に向けてわかりやすくまつりごとの説明をするのは、政治家の仕事ではないのか?
昨夜、永田町で4万5千人のデモがあっても、政治家は知らんぷリを通すのか?

傾国などどいう言葉を、意識することは無いと思っていたが、
まさに今、大部分の国民はどこかで感じているのではないだろうか。

金とか利権とか地位とか忘れて、誇りと責任を持って、きちんと自分の口で話ができる
政治家が増えなければ、このままでは日本は間違いなくアウトだ。

革命といえるようなことがなければ日本は変われないのか?

ああ、日本・・・

6.21.2012

汚れた英雄(妄想注意)

来月の写真展の題材となっているファンキーだった母校・企救中(きくちゅう)を卒業して、
1980年、中途半端な進学校の小倉高校に入学した。

高校時代にどんな生活をしていたか、あまり記憶がない。
一つだけ、しっかりと憶えていることがある。
あまり他人には話したことはないが、
大藪春彦の小説にどっぷりはまっていた。
そして、それを原作にした角川映画にかなり心酔していた時期だった。



汚れた英雄の北野晶夫になりたいと真剣に思っていた。
こいつのせいで、高2の夏休みにこっそり中型二輪の免許を取り、
魔人のようにコーナーを駆け抜けるような走りは出来なかったが、
なんとか小倉という田舎を抜け出して東京に行きたいと思ったのは、
ここだけの話、北野晶夫のせいだったかもしれない。

どういうわけか、高校時代に英語の通知表の評価が全て5だったおかげで、
学習院大学の推薦を受けて入学した。
北野晶夫の部屋のイメージが深く脳に突き刺さっていたせいで、
大学に入ったら、射撃部に入ってそこそこの成績を積み重ねながら
全国から集まったお金持ちのお嬢様達相手にスキャンダラスな恋の狩人になるはずだった。



ちなみに中山少年の妄想の中では、
壁に埋め込まれた大型の金庫には射撃用の黒光りするライフル銃が並び、
金属製の丈夫な作業台には銃のメンテナンス用の道具が無造作に置かれている。
ガレージには、最新式のイタリアンバイク数台とBMWのALPINA。
冷たいシャワーと火傷するほど熱いシャワーを交互に浴びた後には、
もちろんベッドで、美しい女性が待っている。
ようするに、、、、
汚れた英雄の北野晶夫と、蘇る金狼の朝倉哲也と、野獣死すべしの伊達邦彦が
合体していた。

そんな汚れた英雄になりきっていた中山少年は
意気揚々と学習院大学の桜舞い散る新入生歓迎のキャンパスを横目に見ながら、
射撃部の部室にまっすぐ向かった。
しかし、なぜかその部室には誰もいなかった・・・
神様、最大のいじわるである。
しかたなく、無意識にキャンパスを彷徨っていうちに、
素敵な先輩女子に取り囲まれて半ば拉致されたように
観光事業研究部という、ま、わかりやすく言うと大学生同士で
スキーツアーをやるような、一見してかなりミーハーなクラブに入部してしまった。
つまり、高校時代からずっと大切にしていたハードボイルドな夢が、
この瞬間に、こなごなに砕けて蒸発しまったというわけだった。
大学時代に北野晶夫と同じ平レプリカのヘルメットを二つ買った。
一つは当時付き合っていた高校生の彼女用だった。
その娘も、大学生になって早稲田大学の医者の息子に持ってかれてしまった。

ああ、青春・・・

ちょうど30年前に購入した
ハードボイルドのしょっぱい記憶
既に内側のウレタンは
加水分解でまったく残っていない。
iPhone4

6.18.2012

Nikon D800E パソコン接続撮影

先日、ファッションのカタログ撮影の仕事にD800Eを使ってみた。
ストロボ撮影がメインであればハッセルのHでやるところだが、
自然光の撮影で連写したくなることもあり、いささかパソコンとの接続に不安はあったが
ニコンの愛用者でもあるカメラマンの先輩がADでもあるので、
カメラコントロールプロという接続ソフトがどこまでがんばるのか試してみた。

予想通り、数十枚撮影すると、転送がエラーになりソフトが
ハングアップする症状が、全11カットで5回発生した。
ストロボ撮影時のチャージのある状態でも同じ症状が出た。

実際同じ状況でハッセルH(3900万画素)を使ったとしても、
これほどソフトがフリーズすることは経験上無いように思う。
(つまりファイヤーワイヤー800の転送のメリットだと思われる。)

パソコンのスペックはMacBookPro17インチ
Intel Core i7 2.66GHz
5400回転のHDで空き容量は140G。
メモリーは8Gだが、撮影時はNX2とカメラコントロールプロの
二つしか立ち上げていない状態である。
RAWと最小のjpgを振り分け記録で、
PCとカードの同時記録である。
いまだに許せないマックの大人の事情による
USB3未搭載のせいであるのは言うまでもない。

転送が止まった状態になると、カメラもパソコンも操作不能になるため、
やむを得ず、ソフトを強制終了して再接続してソフトを再起動。
転送の不具合に気付いてから、再び撮影に入れるまでに約3~5分のロスとなる。
しかも、この状況になった場合、カメラコントロールの記録モードが再起動後に、
なぜかPCのみになることがあることもわかった。
(ファイルの名前がカメラの連番でなくなるので確認できる)
撮影に復帰した場合は、必ず確認する必要がある。
そして、この時に約10枚ほどのデータが転送されないことも確認した。
(カードには記録されている)


天候と時間を見ながらの撮影において、カメラトラブルで撮影がストップしてしまうのは、
なんとも避けたいので、非常に神経を使うことになる。
モニターでリアルタイムに確認するPCとの接続撮影スタイルをとるならば、
何か対策をしないと、非常に使いにくいカメラである。

一番、まずいなと思えたのが、この症状を何度か経験すると、
撮影しながら、なるべく転送エラーが出ないように、シャッターを押す回数をどこかで
我慢して減らしてしまうような気分になったことだった。
自然光で撮影する場合は、動きの中でここだと思ったときは、連続して押したくなる。
モデルの動きが面白くなった時は、いっきに攻めて枚数を抑えながら
あたりを狙っていくというスタイルがスポイルされるような気がしたのである。

もちろん現行でUSB3に対応しているウインドウズの撮影用マシンを用意するのも
一つの手段ではあるが、もろもろのソフトや周辺の環境を考えると、
マックで同じような、性能がでてくれないのが、なんとも悔しいところである。

Wifiでデータを飛ばすSDカードでjpgだけを転送するスタイルにするのは、
なんだかオタクっぽくて避けてきたが、それも試してみなければいけないかもしれない。

おそらくHDをSSDにしたところで、USBの転送速度が上がらない限り
同じような症状は出るように思える。
最近発売になったMBPにようやくUSB3が搭載されるようだが、
ニコンの付属のUSBコードはなぜか1メートルしかない。
1メートルでは正直単体では役に立たない。
それに加えて、よさそうなUSB3のリピーター付延長コードをあまり見かけない。
全体から見れば、たいした需要ではないかもしれないが、
カメラメーカーは実際にカメラが使われる環境を検証した上で
周辺機器のケアーをしていただきたいといまさらながら強く感じた。

膝上ショットからの切り出し画像 70-200Ⅱ 70ミリ f6.3 1/250
画像自体には何の不満も無い。
一度の撮影で約100Gを使っても、そこも許せる。
こんなに素晴らしいカメラなのに、、
接続撮影に関して何か秘策を用意してくれていたら
もっと幸せになれたのにと思うと、残念でならない。

5.27.2012

日食・虫・フライデー

5月21日、おそらく始めて日食を観た。
以前なら、きっとまたいつかどこかで見れるだろうから
何も必死こいてみることはないだろうみたいな気分だった記憶があるが、
さすがに早起きして見たくなるのは、歳のせいもあるのかもしれない。

事前に屋上からの太陽の位置はiPhoneのSun Seekerというアプリで確認していたので、
7時頃からパソコンとカメラとお菓子とお水と煙草を持って屋上に出た。
残念ながら薄い雲が広がっていて、あきらめようかとも思ったが、
せっかくなので、SC-72とういうシャープカットフィルターを付けて、
パソコンにカメラを繋いで一服しながら待った。
うっすらと太陽の形が見えたので、数枚撮ってモニターで確認したら、
太陽はちゃんと欠け初めていた。
赤く写っているのは、フィルターの色味のせいである。
赤い太陽もわるくないので、そのままにしている。
太陽のピントは70-200のレンズの無限遠のマークの真ん中から
少し送ったところにあることがわかったので、
ピントは固定にしてしばらくシャッターを押しながら楽しんだ。

ちょうど金環になるころに一気に気温が下がって、
ひゅーっと風が吹くような感じがした。
フェアバンクスでオーロラを10日間連続で楽しんだ際、
オーロラが現れ始める時に同じような感じがしたのを思い出した。
eclipse

eclipse

eclipse

神様も、おつなことをしてくれる。
うっすらとかかった雲のおかげで、肉眼でも目を傷めることなく
太陽の形が確認できるので、ためらわずにフィルターを外した。
雲を切り裂く日食などという全く予想もしていない写真を撮ることが出来た。
写真の神様にも感謝。

eclipse

夕方の撮影までは時間があるので、
早めのブランチをして近所の公園に虫を撮りにいった。
そろそろ蚊が出始めたので、虫の撮影もひと段落になりそうである。

Insects@Tokyo 東京・目黒の虫達

↑フリッカー上の写真がスライドショーで見ることができる。
放射能も飛び交うこの東京で、われわれの足元に
こんなに美しく、いかつい顔つきの虫達が元気に生きていることに少し感動した2週間だった。
そんな気にさせてくれた新しいカメラD800Eにも感謝。

そして夕方、この日3度目の撮影に出かけた。
虫の装備そのままに小型のサンパックの電池式リングライトで攻めることにした。
太陽~虫と続いた締めは、ロンドンオリンピックの選手である。
念のために小型のコンセント式のミニカムのリングライトも用意した。
インタビューの横顔を長玉で抑えながら、黒バックを準備して、カメラには60マクロを装着した。
このカメラでこのレンズが付いたら、すでに撮り目は決まっている。
250分の1秒・f11に設定して被写体との距離を想定しながら
壁に向けてテストでシャッターを押した。
さすがにフル発光にしなければ、絞りはかせげないようだったので、
チャージの速度を考えてミニカムのストロボに変更した。

あがりは、狙い通りのいい出来となった。
ページも増やしていただくことになった。
これは、私の全くの私見になるが、
歴史のある雑誌には、その本が持つ不思議なパーッケージの力があって、
あまり面白くない写真は、その本のパッケージの力に負けて
手が止まらないページとして雑誌に飲まれてしまうような気がすることがあるが、
今回は、そのパッケージの呪縛を破って「何??このページ?」
になれたような気がしている。
もし、憶えていたら、、、、、たまには買って御覧になって頂きたい。
写真週刊誌「フライデー」
発売は6月1日、もちろん金曜日である。





5.16.2012

昆虫撮影(備忘録)

・虫を求めるなら、汚い公園が良い。

・大きなレンズ、カメラよりも、引き伸ばしレンズ逆付けの先細りのほうが虫が逃げにくい。

・犬のうんちすれすれに構える覚悟ならハエは比較的簡単に捉えることができる。

・マクロ撮影をするときは、ファインダーが暗くなるので
アイカップを付けるほうが集中できるし目が楽になる。

・蜘蛛は、いったん逃げてもしばらくするとまた同じところに戻ってくることがある。
前足をあげて威嚇してくる蜘蛛はしばらく撮影に付き合ってくれるナイスなやつ。
威嚇のポーズを確認したら、攻めるべし。

・頻繁に蜜を求めて飛び回っている蜂は捕らえやすいし、比較的安全(自己責任)

・ファインダーを覗いてて、ピントがあっていままで一番恐ろしかったのは蝶
Untitled

・どうしても中間リング順付け自動絞りが使いたければ、こんなものもある。
 Kenko デジタル接写リングセット 

等倍から3倍の自動絞りで最も安く、そこそこの性能のレンズを手に入れる方法。

・等倍を超えるあたりからは、引き伸ばしレンズ逆付けのほうがなぜか狙いやすいし
あがりも綺麗で解像度がいいことが多い。キャノンのMPマクロはまだ試していない。  Untitled 

・リングライトはハッセルH、こだわりのライトは逆付けが、上がり的に相性がいい(個人的) 昆虫二倍撮影機(波動砲式) 2× 昆虫撮影機連写型 (乳白アクリル式) 2.5×

・日が落ちたり、雨が降っているほど頑張れば、写真の神様は何か褒美をくれる。 Untitled 

・お昼の散歩とはいえ、すこしでも気合をいれるなら、
犬のうんちを踏んでも平気な靴と、
汚い草むらに這いつくばれる服装と、  
変態あつかいされても動じない心構えと近所付き合いが大事である。

・葉っぱの裏にこそ、宝物が隠れている。 

こんな武器もあるが、4-5倍はフィールドであたりを増やすのは難しい。  
  そよ風が吹くだけで、ファインダーで何も捉えることは出来ない。

・腰を低くしてしばらく狙った直後に急に立ち上がる時は、
立ちくらみに気をつけたほうがいい。
いい歳こいてると、倒れることもあると思う。

・虫を見つけて、ゆっくりレンズを近づけて、ファインダーで虫の目が見えた瞬間に押すべし。
あとから前後してピントを合わせるよりもそのほうが確率がいい。

・飛んでる虫の撮影は、望遠系のマクロでないと無理っぽい。

以上、5/16付