7.14.2011

金嬉老

月刊現代のグラビア「貌」で金嬉老さんを撮影するために、
2000年の暮れに釜山に向かった。

建物の入り口で厳重にセキュリティを受けて、
カメラがあちこちに配置されお上に監視されてはいたが、
ご自宅のマンションはとても贅沢で綺麗な建物だった。
部屋の壁には、支援者から送られた品々がきれいに並べられていた。

実は、金さんの笑顔を狙っていた。
70年の人生で50年もの間、牢獄で 暮らしてきた人が
どんな笑顔をされるのか、とても興味があった。

ファインダーを覗きながら少しシャッターを押したところで、
笑顔を撮りに来ました。。と告げると金さんは口元は笑ってくれた。
ぶっちゃけトークに切り替えて、笑顔を誘ったのだが、
口元に少し皺がよって、笑おうとしているが、
目が、まったく笑っていなかった。
修羅場をくぐり抜けてきた70歳の方が、
照れで笑う事が出来ないのとは、まったく違う状況だった。
取材時の2時間程しかお会いしていないので、
あまりいい加減なことは言えないが、
50年間のムショ暮らしが、笑顔を奪ったとするならば、
すこし恐ろしい気がした。

私の生まれた小倉の実家のすぐ近くに、
親達が近づくなと言っていた村のようなところがあって、
韓国や北朝鮮の人たちが住んでいるんだろうということは子供ながら感じていた。
こっそり、出かけていってはそこの子供達と泥遊びやパッチンをして遊んでいたが 、
どうして、そこに近づくなとみんなが言っていたのか?
歴史のいたずらなのか、いじめや差別意識が国レベルになってしまったものなのか。
実は、いまでもはっきりした理由がわからない。

金さんはその後、なんとまたもやもう一度服役。
昨年亡くなられて、御本人の希望で静岡に眠られているようである。

ちゃんと歩けないくらい足が悪いのに、
母親の仏壇の前では正座をして小さくなっていたのが、とても印象的だった。

合掌

Hasselblad 150mm トライX