8.21.2011

小倉日記

企救(きく)中学校の同窓生を撮影する為に
8月12、13、14、15日と生まれ故郷の小倉に行った。

春の撮影は、昼間は学校、夜は元番長の経営する居酒屋で行ったが、
今回は、地元の連中と里帰り組みを同時に狙うために、
同期の女性が経営するスナックでフルタイム2日間、
みんなで飲みながら待機するという作戦だった。

小倉に向かう3日前に親父から小倉に住む叔父が亡くなった知らせが届いた。
小倉で新幹線を降りると、同期の女性が車で迎えに来てくれて、
そのまま線香を上げに行った。
東京に住むようになってすっかり疎遠になっていた叔父さんの家族に会うことが出来た。
仕事で小倉に行っても、なかなか会いに行けなかった不義理な私を
いとこ達と再会させてくれた叔父さんの遺影にゆっくり挨拶をした。

30年以上も会っていなかった同期のいとこに再会したら、
涙のひとつも出るかもしれないと覚悟を決めていたが、
驚くことにお互いの顔を見た瞬間、ばりばりの喪中にもかかわらず
二人で大笑いしてしまった。


それから撮影会場となるスナックへ向かいストロボのセッティングをして、
昼間のうちから手伝いに集まってくれた人たちの写真を撮りながら、
夜が来るのを待ちきれず、飲み始めた。

日が暮れて、5メートル程のカウンターが埋まるのにはそれほど時間がかからなかった。
店の入り口の引き戸ががらがらと開かれて、みんなの視線が注がれる度に、
それぞれの神経細胞が過去の脳内データを検索する刹那が繰り返される。
名前がすぐに出てくることもあれば、
まったく誰だかわからない経年変化をしてしまった人もいる。
相手がだれか思い出せなければ「お前、だれちゃ?」と平気で聞く始末。
カウンターには座りきれれないので、みんな遠慮なくカウンターの内側に入って、
手が空いているものがお酒を用意して乾杯の連続である。

小倉弁では久しぶりに会った男同士で、
まるで、からんで、喧嘩でもしているような挨拶が繰り広げられる。
「お前、なんしょんすかっ!」
>訳:あなたは、最近何をしていますか?調子はどうですか?

30年間、硬く凍っていたみんなの記憶が一瞬で解凍されて
湯気のようにそのエネルギーが立ち昇り、
カラオケを歌うもの、女性の手を握って離さないもの、
親達の不思議な行動を目をきょろきょろさせて観察している子供達が、
不思議な塊となって小倉の夜は更けていった。

2日目の朝、ほとんど寝ていないところを電話で起こされた。
金髪のショートモヒカンの友人からだった。
博多から駆けつけてくれた女子をピックアップして
ホテルまで迎えにきてくれるとのことだった。
すぐさまホテルの前にランニングを着た、
逞しい体の友人が可愛い軽自動車で迎えに来てくれた。
車とドライバーのミスマッチもすごいが、
子供が3人いるという二人の女性が金髪モヒカンの車の後ろに小さく座ってるのが
なんとも可笑しくて、さすが小倉である。
だいたい見た目がおっかない奴ほど、実はいい奴だったりするのが小倉なのである。
スナックでの撮影は13時からにしてあるので、なにか食べようということになり、
彼は行きつけのうどん屋に連れて行ってくれるという。
車はどんどん市街地を遠ざかり、細い路地を住宅街に向かった。
「よもぎ肉うどん」をご馳走になった。
自分がほんとうによく行っている普通~の(ちょい汚い)店に平気で連れて行く感じが、
なんだかとても嬉しかった。
(漁師が、再会した友人に船の生簀から烏賊を取り上げて目の前で絞めて、
烏賊の体がスーッと色が変わるのを見届けてから手渡してくれるような・・・
ぶっきらぼうでも、素朴でも、そんなもてなしが普通に行われるような関係が
大好きである。)

スナックに向かう車中で、ショートモヒカンの怖いおっさんと、
お子様が3人いる綺麗な奥様がなんだかとても低いトーンで
打ち解けた会話をしているのに違和感を覚えていたが
後から聞くと、二人は中学当時に出来ていたいたらしく。。
今回のこの撮影・同窓会企画はいろんなところで
時空を超えていたようで、、東京に戻ってから彼に電話をしながら、鼻で笑ってしまった。

13時すぎにスナックに着くとオーナーの女子が来ない。
店の前にモヒカンとロンゲのおっさん二人で30分ほど座り込んで待っても音沙汰なし。
入り口のシャッターは2枚あるが、いつも開けてるほうは鍵がかかっていた。
みんなで電話するが一向に出る気配はなし。
モヒカンの彼が痺れをきらしていつもは絞めっぱなしの開かずのシャッターを持ち上げたら、
あっけなくがらがらと上がっていった。
しかも店の引き戸は鍵がかかっておらず、そのまま入り込むことが出来た。
ストロボのチェックをしてるところにオーナーの女子から電話が入った。
「ごめん~朝10時まで飲んだんよ~声が出んけん電話でんかったんよ・・
お店開いてたやろ?いつも開けちょるけん」
そんなん知るか・・・言っとけよ・・である。
ま、小倉とはそういうところである。

2日目は先生達もいらした。
国語の女性の先生は当時の私のマドンナであり、
我が人生で始めてタイトスカートの魅力を教えてくれた方である。
当然、スカートの中を覗く作戦はみんなで練っていた。
今では校長先生になられた社会の先生が帰り際に
別の者が選曲した「アイラブユー」のマイクを奪い、歌った。
大学を卒業してすぐさま送り込まれた恐怖の不良中学で、
元気に先生デビューを果たした初々しかったその先生もずいぶん歳をとってしまった。

マドンナ先生に書いて頂いた文字
Hasselblad H3DⅡ-39 ISO50 120mm
この時に、気づいたのだが、小倉弁には尊敬語とか丁寧語が存在せず、
相手が元先生であっても同じ「なんしょんすか」言葉が使われていた。
英語のようでもあるが・・・やはりひどい言葉だ。

中でも嬉しかったのは、2年時に転校していて
仲が良かったにもかかわらず、まったくアルバム等での捜索にひっかからなかった
男友達がやくざのような迫力で夜遅くに登場してくれたことだった。
アルバムにも載っていない完全に脳の中だけの記憶なのに、
顔を見た瞬間、抱きつきたくなるほど興奮した。
途中で転校してしまった彼と再会できて、
写真をこの手で撮れたことは、ほんとうに嬉しかった。

そんなわけで当然飲み会は朝まで続き、
2日間にわたって飲みながらみんなのポートレートを撮影した。
気が付いたら一人で機材を片付けて無事ホテルに戻り、
カーテンの縁から染み込んでくる朝日を見ながら眠りについた。

1時間も寝ないうちにテレビドラマ「24」の主人公の電話の着信音がなった。
このときばかりは、ジャックバウアーになった気分で電話に出た。
迎えに車を出してくれた女性からで、
実はこの日に彼女の家で半分仕事の撮影をすることになっていた。
「疲れたでしょ~うちのお母さんが美味しい朝ごはん作ってるから食べにおいでよ」
「ちょ、、、、、、(殺す気か)」
酒も残っていて、2日間で3時間も寝ていないこともあり、
死ぬほど寝ていたかったが、湯気のあがる味噌汁のイメージが一瞬浮かんでしまった。
ジャックバウアーだってそう簡単に死なずに国を守ってるんだから、
俺だって味噌汁くらい飲めるだろうと意味不明な気合でシャワーを浴びた。

おばあちゃん・母親・長女・長男・次女の
家族団欒の素晴らしい湯気のあがる味噌汁朝食のおかげで再起動した。
子供達の顔がぴかぴかに輝いていた。
東京のカメラマンのおっさんとしては一泊の恩義に報いるためにも
写真くらい撮ってあげなければならない。
仕事そっちのけで、子供達の顔に夢中になってしまった。
めちゃくちゃ美しかった。おっさんの顔が大好物でいままでやってきたが、
子供の顔もたくさん撮っていつかまとめてみたい。

Hasselblad H3DⅡ-39 ISO50 80mm

自宅の一階でエステサロンを経営している彼女が翌日、
そんな顔じゃ、東京に帰せないということで、造顔リンパマッサージをしてくれた。
同窓生と2日間酒を酌み交わし、睡眠時間を削りながら過ごしたせいで、
まるで玉手箱を開けてしまったように、顔はくすみ、目の下には深くクマが出来て、
いつも若いと言われていたはずの自分の顔が疲れ果てて、
歳相応になったような気がしていた。
真っ白な霧に包まれたミストサウナに15分ほど入って、
ぼとぼとと汗を吹き出してから、リンパをしごくように顔を中心にマッサージを受けた。
1時間ほどして施術が終わり、鏡を見て驚いた。
肌がピカピカになって、顔のラインがシャープになっていた。
話を聞くと、どうやら郷ひろみさんあたりもひんぱんに同じようなことをやってるらしい。
エステ、恐るべし・・・

若返った後に、小倉でのギャラリーの下見で門司のブリックホールに向かう途中、
目の前に北九州の工業地帯が広がった。
幼少の頃にあの煙のせいで光化学スモッグが発生していた。
それとは裏腹に好景気を生み出し、子供ながらにラジカセを買ってもらったり、
家族で別府に温泉旅行にも行かせてもらった。
円高地獄の黒雲に覆われた工場の煙突からでる煙がなんとも虫の息のようで
すこし寂しくなったので、車を降りて道路を駆け上りiPhoneで写真を撮った。

iPhone4

なぜか自分の中では小倉のアクセスには飛行機はない。
大学入学で上京するときに母親から新幹線に乗る際に渡された
3万円の記憶を忘れない為なのか。。。
エアーで一人では間違いなく重量オーバーの超過料金を取られるせいなのか。。。
お盆の帰省ラッシュということで、神のお告げによりグリーン席になり、
携帯とパソコンを手元のコンセントに挿して、
モニターに映る女子達に硬い光をあてたことを謝りながら帰路についた。
時折、携帯メールに同級生達からメールが届く。
電話をくれる男もいる。


みんなからは消息不明といわれるほど、生まれ故郷を省みていなかった自分にさえ、
一瞬で打ち解けあい、しがらみもなく、何かあったらすぐさま駆けつけてくれる旧友達が
同じ時代を元気に生きてることがとても嬉しかった。
もちろん、長生きすれば、表ざたにすることも出来ないような
いろんな人生の闇を抱えている人だっているが、
人生の残り半分は各自のオリジンを深いところで共有している小倉の友同士、
時々、顔を会わせるのもいいなと、しみじみ感じた。

みんな、ありがとう。

さて、次は小倉に行けなかった関東組みの撮影である。
夏が終わる前に召集をかける予定。