1.08.2011

写真の入り口〜STUDIO FOBOS

1991年、私は「父との旅」の段取りを整えて
出発までの日々をぷらぷらして過ごしていた。
六本木の青山ブックセンターで写真集を眺めていて、
ふと作者のプロフィールを見ると
歩いてすぐの距離に事務所があるようだった。
普段は割と用心深い性格なはずだが、
なぜかそのときだけは違っていた……
そのまま、その住所に向かいピンポンしてしまったのである。

同じ年くらいの男が出てきて「なんですか?」
「いや、あの、、アシスタントにしてください」
「じゃ〜明日履歴書を持ってきて」
翌日、履歴書と、自分でプリントした
当時付き合っていた女性の写真をいくつか持参した。
「おお〜小倉なんだ!俺も小倉!今、先生いるから、ちょっと待って」
部屋に案内されると、そこには白髪のとても体の大きな日本人離れした
ずばりかっこいい立木義浩さんが椅子に座っていた。
立木さんの写真における優しい視線と、
とても丁寧なモノクロが好きだった。
立木さんは、履歴書もあまり見なかったように記憶している。
ただ写真を丁寧に見て頂いたのがとても印象的だった。
「ちゃんとプリントしてるね……
今うちはいっぱいだから私の一番弟子の瀬古が中目黒でスタジオやってるから
まずは、そこに行きなさい」

たまたま同郷の人間がファーストアシスタントだったこと、
彼の計らいでその場で立木さんに会わせてもらって、
写真まで見て頂いたこと、
28という年齢だったこともあり、少し考えたが、
小倉生まれの玄海育ちとしては、
これを受け入れない不義理な生き方は考えられなかった。

かくしてスーツを着て中目黒に面接に伺い、
師匠となる瀬古正二さんと坂口さんに
「ここは、そんな格好しなくていいとこだよ」と大爆笑されながら、
スタジオフォボスに入ることとなった。

それまで、なにわナンバーの黒い戦艦のようなSL560に乗り、
大きな携帯電話を全日空ホテルのバーのピアノの上に置いて酒を飲み、
アルマーニのスーツを着てキャバクラのおねえちゃんと
トランプをしていた28の男が、
出社そうそう19歳の前田というガキに、
「おい、お前、、階段掃除 してこい」と言われた。
もちろん想定内のことであったが 、
「こいつは、ぶっとばす」と思いながら、
白ホリまみれの2年が始まった。

3ヶ月の研修期間を経て、
当時スタジオマンのチーフだった五十嵐さんの推薦などもあり、
年齢的なことや当時スタジオで一番写真を撮っていたこともあったりで、
すぐにチーフにして頂いた。
あまり大きな声では言えないが、
スタッフルームに酒屋からビールをケースで頼み、
暗幕を毛布にして、カポックを十字架に並べて
寝ながらみんなで日本酒を囲んだり、
近くの居酒屋で夢と写真の話を肴に飲んだくれていた。
「スタジオマンは世の中のくずだ 」といつも自戒しながら、
約1年半のスタジオマンを経験した。

バイテンを標準レンズ付きのニコンFのように
がしがし撮る横須賀 功光さんの
作品撮りにロケアシで呼ばれた際に 、
横須賀さんのアシスタントの方が、
「今、東京で一番仕事が出来るのは、篠山さんのとこのファーストか
フォボスの中山だって聞いたよ」
っていうのが、昔とった、、なんとか……である。

そして瀬古師匠にあと半年は専属アシスタントにするからと言われ、
個人カメラマンの動きをひととおり学ばせて頂いた。
「デビューするのにちょうどいい歳だ、早く辞めろ」
30歳で独立した。

残念なのは、二つ。
一つは、私の写真の入り口となった
立木義浩さんの事務所の玄関で私を迎えてくれた
同郷の永江和之さんが38歳で他界されたことだ。
スタジオマンになっても、いつも指名して呼んでくれて
写真撮影の準備のトップスピードを教えてくれたのはまぎれもなく彼だった。
結婚した時も、さらっと奥様と尋ねてきてうちにあったローライを、
良く知ってて使い慣れているくせに「これがいんだよね〜」と
カメラ小僧のように笑いながらフォルムを詰めて
シャッターを押していたのが、とても懐かしい……
彼の香典返しで頂いた目覚まし時計が、
早朝ロケのとき、いつも私を起こしてくれる。

もう一つは、フォボスでいつも歳の離れた兄貴のように
優しく見守ってくれた伊達な坂口さんが亡くなられたこと。
スタジオを辞める少し前に、わざわざスタジオに入っている私に電話をくれて
「フォトコンの締め切り今日だから、なんか出せよ」と言ってくれた。
そのコンテストでグランプリを頂けたのも、坂口さんのおかげだし、
初仕事ともいえるSunday Silenceの納品前の写真を見てもらった時も
「すばらしいよ。これだけ撮れれば、もう大丈夫だ」
と独立する私の背中を強く押してくれたのも、坂口さんだった。
NYで撮ってきた数百枚の写真をこっそり白ホリに並べていた時も、
す〜っと現れて楽しそうに見てくださった。
坂口さん、いつもありがとうございます。時々また見にきてください!


なぜか一度だけスタジオフォボスで慰安旅行があった。
あんなやつも、こんなやつもいる。。
ま、基本的に自分勝手な人間の集まりなので、
ろくな思い出はできないのは分かっているが、
全員いないのに、気にせず集合写真を
撮ってしまうのである。
写真を愛する人間の集まった1枚、、なんか、、いい……
(シャッターを押したのは真壁?)

Tri-X, FORTEZO 2号