1.25.2011

オーロラ

1999年の暮れ、犬達を自宅に残して、
年寄りの父と母にドッグシッターの注意書きを手渡して留守番を頼み、
アラスカにオーロラを見に行った。

往路はアンカレッジ経由でフェアバンクスまで飛行機で向かったのだが、
なんといっても一番大変だったのは、
意気込んで購入したノースフェイスの極地用のダウンパーカーを
着たまま移動してしまったことで、
どこに行っても寝袋を持ち歩くような状態だった。
当時はアメリカ入国も、指をセンサーに押し当てるような事は無かったが、
フェアバンクスの空港でカメラ機材を入念に
放射線検査をされたのを憶えている。

宿はインターネットで見つけたペンションに
10日間フルにお世話になった。
フェアバンクス近郊の住宅地にあり、
競うようにライトアップする家々のクリスマスの電飾は壮観だった。


夜になると、宿の主人の好意で近くのスキー場に行ったり、
長大なパイプラインの下からのぞいたり、
車で3時間程のチェナ温泉にも行った。
世界中からの観光客達が裸で温泉につかりながらオーロラを楽しんでいた。

11泊中10日間もオーロラショーを満喫する事が出来た。
マイナス20度の中で夜空を見上げていると、
どこからともなくひゅ〜っと風が吹くような感じがしたかと思うと、
天球にランダムに様々な色の光がうねり始める。
よく言われるカーテンのようなオーロラももちろん見れるのだが、
空一杯にうごめく光の印象の方が強く残っている。
カメラを携行しているせいで、
いちいちビニール袋にカメラを出し入れして
結露を気にするのも面倒なので毎晩朝方まで空を見つめ続けた。
カメラはEosとFujiの69GSWとマキナ670を用意していたが、
ブローニーのカメラは、昼間の時点ですでにフィルムが圧版に
凍り付いてしまい、巻き上げが出来なくなり
一枚しか撮る事が出来ない事が分かっていたので、
夜は三脚とEos1Nを2台だけだった。
最も寒さに強いとされる単3リチウム電池を使用したが、
モードラ用で8本なこともあり、バッテリーの心配もほとんど無かった。
まつげも凍り、マスクをはずしてタバコを吸う度に
鼻毛がぎしぎしと音を立てる状況だったが、
現地で手に入れたソレルブーツと極地用のダウンのおかげで
オーロラをフルタイムで満喫できた。
いつもお世話になっている太陽の光でもなく、星の光でもない。
生まれて初めて楽しむ光のショーは忘れられないものとなった。

お昼頃まで寝て、近くのスーパーに買い出しにいく時には、
いつもダイアモンドダストが舞っていた。
交差点の歩行者用のスイッチは凍り付いていて役に立たない。
オーロラを見て朝方、宿に戻る車の窓から見た、
広大な中古車ディーラーに整然と並ぶ凍り付いたダッジの4駆達が
街灯でシルバーに輝く様は、 信じられない程美しかった。


アラスカからの復路は、間違いなくアラスカ鉄道をおすすめする。
文字通りアラスカの大自然を12時間突き進む。
真っ白なデナリの雪原に佇む一匹狼も見ることが出来たし、
巨大な鉄橋の真ん中で、広大な景色を楽しむ為に
しばらく停車してくれるという粋なはからいもあった。
マッキンリーもはるか彼方にではあるが、
それゆえの神々しさとそのスケールを感じられる。
喫煙所は、、、さすがアメリカ、空の貨物車両まるごと一両である。

最後の大晦日のアンカレッジの深夜、
レストランはみんな休みにはいっていて、
食事がカフェの冷凍のピザだったが
オーロラを10日間味わった直後の年越しの花火は、
私の中では満点である。


11年周期で太陽の電磁波が活発になるようで、
昨年の2010年の暮れに、再びアラスカを訪れる計画をしていたが、
ハニーが歳をとり、白内障を患い、
足腰が弱くなっていたこともあって、断念した。

11年前に留守番をしてくれていた犬達は
年明けに、とうとう二匹ともいなくなってしまった。

犬達へのアラスカ土産のドリームキャッチャーは、
一体どんな夢を運んできてくれたのだろうか。。。

Canon Eos1N 17~35mm ネガ