11.19.2011

本田圭佑

2009年、雑誌GQの侍特集を撮影させて頂いた。
その中に本田圭祐さんがキャスティングされていて、
彼の母校である石川県の星陵高校に向かった。

オランダの2部リーグのフェンローでMVPを獲得した彼に会うことができた。
ビックマウスと称されて、えらそうに振舞うことは聞いていたが、
実際に彼に会った印象は、逆に慎重に言葉を選びながら、
むしろ自分の弱みや立ち位置を十分に理解した慎重な男に思えた。
中学でユースに選ばれることなく、自分の過去を清算するようにして
一人で故郷をはなれて星陵高校に行った少年は、
思ったとおりの賢い男だった。
サッカーに命を捧げようとしている男は、
両腕に時計をはめて、全てはサッカーのために、であることを体現していた。
挫折とコンプレックスをリセットするために
慣れ親しんだ大阪を離れて高校に通い、
国内ではあまり目につかないオランダの2部リーグで
成績の出ない辛い時期を乗り越えた彼は、
日本のマスコミが面白おかしく騒ぐような男ではないことがわかった。

決して下を見ない、常に大きな目標を掲げる彼の生き様は
そんな経歴を知れば、男なら誰でも納得できるはずだ。

男には人生において、2度「貌」(かお)が変わる瞬間があると思っている。
一度は自分の生き方を見つけて、少年から男になる瞬間。
もう一つは、死の直前に、生きるエネルギーが抜け落ちて体が朽ちていく瞬間である。

今思うと、この時に彼を撮影した直後、彼の貌が変わったように思う。
ロシアに渡って、髪を完全に金髪に染めたせいもあるかもしれないが、
間違いなく世界一のサッカー選手を目指す覚悟がその貌に刻まれて、
決して今の状況に甘んじることなく、常に上を目指しながら
自分を強く信じて戦う侍の面構えとなった。
その貌は、南アフリカのワールドカップで雄叫びをあげていた。

8月にモスクワの戦いで、半月板を損傷した彼が
再び活躍することを疑うつもりは毛頭ない。

早く帰って来い、本田!

そして次に会うときは、
世界一のサッカー選手として撮影させて頂きたいと思っている。

Canon EOS1DsMkⅢ 70~200mm


11.14.2011

DOUBLEBLIND

DOUBLEBLIND(ダブルブラインド)とは、
我が家の設計をお願いした上田さんが建物に付けた名称である。

7年前に、東京での高い賃貸家賃に嫌気がさして、
建ててしまった借金コンクリートの自宅兼事務所。

親父が大工であるにもかかわらず、
コンクリートな家に住んでみたくて、
たくさんの有名な設計士に連絡を取った。
住宅の設計料は誰に頼んでもそんなにびっくりするほど差があるわけでもなく、
超有名どころは着手までに時間がかかるという返事ばかりだったが、
実は、一番好きな感じだった上田さんに、運良くお願いすることが出来た。

科学特捜隊本部のようでもあり、
パッカリ開いて、マジンガーZが出てきてもおかしくない建物が出来上がった。

夏は超暖房、冬は超冷房。
はじめの年は、油断してエアコンを使いすぎて
電気代が月7万円もかかったこともあった。

都内のラボ(フィルム現像所)があがりの配送をしてくれるし、
使いやすいコンパクトな暗室が欲しくて都内に建てたのはいいが、
デジタル時代に勝手になってしまい、放射能もふわふわ舞い散る有様である。
生きてて、あまり後悔はしたことはないが、
なんとも言えない苦い買い物になってしまった。

オートクチュールな自分と家族の為だけの意匠の家に住むというのは、
結局はデザイナーのエゴをどこまで楽しめるかどうかだと思う。
白い床と天井は、掃除はめまいがするが普通に気持ちがいいし、
家で写真を撮るときにはとても重宝である。
傾いた壁やドアのない生活空間も、はじめはギクシャクしたが
慣れればすぐに愛着の沸く心地よい空間となった。

住むようになって数年してから、
イタリアの有名な雑誌インテルニから建物の取材をしたいと連絡があった。
「収納がほとんどないために家中にものがあふれていて、
私自身もフォトグラファーだけど、写真を撮るのは難しいと思う。
デザイナーの竣工写真を使ったほうがいいよ。」とアドバイスをしたにもかかわらず
編集とカメラマンは香港まで来たからということでやってきたが、
笑いながら家でお茶を飲んで、ほとんど仕事をしないで帰っていった。

iPhone4
階段脇に敷き詰めた1200枚のポラロイド
隣の民家が取り壊されて空き地になったので
ポラロイドでホックニーしたときの写真。
今では、隣に新たなビルが建ってしまった。
何千万もかけて建てた自分の家さえ、
好きな角度から眺めることも出来ないのが東京というところである。
モデルに志願して頂かないかぎり、
なかなか入ることが許されないいつも散らかっている現在の我が家である。