12.02.2018

正方形写真論

24年前、カメラマンとして独立して、Jリーグオフィシャルフォトグラファー以外での初仕事ともいえる撮影が雑誌ナンバーでの『サンデーサイレンス』という馬だった。このブログの初投稿にした思い出深い撮影だった。東京のリビングに置いてあったその5枚組の額装写真は、酔った勢いの約束でその後しばらく古い友人が経営している恵比寿のバーBlueに展示していたが、今は小淵沢のとある乗馬クラブのロビーに飾られている。


その乗馬クラブで自馬を持つ女性からお話をいただいた。『娘の馬と2頭のこんな感じの写真をお願いしたい。できれば娘と一緒に馬に乗っている写真がないので...自宅に飾りたい。』ということだった。馬の撮影でスタートをきったカメラマンが、普通に道路を馬が歩いている小淵沢に住み着いて早2年。お断りする理由などなかった。

20年以上、この写真を眺めていたことで、自分の中に6×6(正方形)の額装写真の持つ魔法のような不思議な力について思うところがある。
本来、人間の視野は距離感をつかむために進化した?のか二つの横並びの目で世界を認識しているせいで横長に感じることが多い(と思う)。カメラにも縦横比率についていろんなものが存在するが、通常は横長に見えているはずの現実世界をわざわざ正方形に切り取って写真にするということは、写真という二次元の世界において、空間の拡がりや見せ方とは別の次元で『何を注視したか』を無言のうちに提示するものだと思っている。
プライベートな部屋やリビングに写真を飾る場合、飽きるか飽きないか?うるさいかうるさくないか?という問題も見過ごせない。20年以上もの間、自分の写真を飽きないで見続けられた理由の一つは、不自然ではあるが色を捨てられ正方形に切り取られた現実世界をさらに余白のマットで視野を断ち切ることで、現実世界を捉えるのとは違う感覚としての目の窮屈さ?のようなものが、見る度に視覚に新鮮味を与えているような気がしている。


とんでもなく砂埃が舞い上がる紅葉に包まれた馬場での撮影はニコンD810と70〜200ズームのみ。正方形写真モノクロ額装という魔法を信じるならば、魔法の杖は一本で充分だった。2頭の馬の存在と母娘が一緒に馬に乗っていたという現実のみに目を向け、ミリ単位でトリミングを繰り返し、モノクロ化した6枚組を抽出した。
サンデーサイレンスの写真はハッセル500CM撮影のトライXをフォコマートⅡCで当時もっとも気に入っていたハンガリー製FORTEのバライタペーパーに焼いた銀塩プリントだったが、今回はデジタルカメラ撮影ということでEPSONプリンターPX-3Vでフランス製のCansonのバライタフォトグラフィックペーパーを使用した。テストプリントを繰り返した結果、コントラスト強めの画像で雲も焼き込んだ感じを出しているせいか、モノクロ印刷のかぶり有りモードがしっくりきた。オフホワイトのマットペーパーにあわせてプリンターソフトでほんの少しアンバーを加えている。プリンターから出てくる『写真』が『手で触るな...』と話しかけてくる気がする時は、いいプリントの証だ。ストックしてある堀内カラー製の毛玉が出ない指先がタイトな白手袋をしごきながらはめる。
額装については、残念ながら小淵沢近辺にはスタンダードな額装店が見当たらなかったので、サンデーサイレンスの額装をお願いして以来ずっと付き合いのある東京にあるお店にお願いした。配送や持ち運びもあるので表面はアクリルとした。(これは余談だが、清里にある写真美術館『清里フォトアートミュージアム』あたりでアーカイブも意識した写真の額装サービスを始めてくれたら、お財布も住空間も余裕がありそうな別荘族の眠っている額装写真需要を喚起して集客にもつながるんじゃないか、とも思っている。)

かくして、6枚の正方形モノクロ写真額装が完成した。
二頭の馬と母娘の間に流れる愛が、ストイックな写真作品となった。巷ではインスタグラムというちょこざいな呪文が流行っているが、これこそが正方形写真魔法の奥義だ。
緊張感すら漂わせ、ちょっぴり目に窮屈な思いをさせながら寡黙に語りかけてくるモノクロームの正方形写真たちは、これから長い時間をかけて家人の視線と愛を受け止めながら写真の真髄であるタイムマシンとしての機能を熟成させていくことだろう。(撮影のおまけとして、目線有りの笑顔の写真や、躍動感あふれる馬の走り・筋肉、紅葉をバックに華麗に障害を飛び越えるといった今回の魔法の素材にはなれなかったカラー写真データはインスタ映えの呪文用に送ってあるのは内緒だ)

サンデーサイレンスの写真が見守る乗馬クラブのロビーで出来上がった写真のお披露目をした。こういう時はどんな言葉よりも表情がすべてを物語る。てっきり車で小淵沢入りしていると思っていたが、あずさでニコニコしながら膝の上で抱いて帰りますと聞いた時は、ほんとうに嬉しかった。同席していた別の馬主である女性が『うわ〜〜かっこいいね〜!これ(サンデーサイレンス)よりいいじゃん!私のもよろしく〜♪』あながち間違っていないなと思った。今回は超ピンポイントの着地点めがけて写真を作ったわけだし、おまけにサンデーサイレンスの撮影から20数年写真の波に揉まれてきた経験と写真魔法の力も借りている。明日撮る写真が今までで一番というのは商業カメラマンの建前としても悪くはない...などと思いながら『了解っす。雪の中で撮りましょう!』と答えてしまった。

時空を超えた馬の写真作りは、なんとも幸せな気分をもたらしてくれた。
『やっぱ、うまいな俺』
感謝、乾杯w

1.27.2018

水の化身

雪が降り気温が下がって自然の貌ががらりと変わった。
昼間でも気温がマイナスの時は、カメラも身体もあっという間にバッテリーが切れるので車からのアクセスがいい場所に出かける。偶然見つけた大武川上流の広大な河原は川べりに車を止めてそのまま撮影モードに入ることができる。ただ、この時期はアウトドアを楽しむ人も皆無で、いるのは猿の群れと雪に覆われた山の急斜面を華麗に飛び跳ねて移動する鹿くらいだ。小雪が舞って川の音しか聞こえない状況でひとりっきりで猿の気配を感じながら被写体に集中するのはなんとも心細い。そんな気分で河原のつららをじっと眺めているとその造形がなんともおどろどろしく見えてくる。普段は液体や気体で自由に動き回っていた水の妖精が、凍りついて氷の中に封じ込められることで獰猛なもののけとなって氷の中から慟哭とともに体をくねらせて抜け出そうとしているように見えてくる。
こういった自然界の様々な現象や畏れが、古くから世界中で言い伝えられ、物語となり魔法を生み、さらには宗教となってきたのがよくわかる気がする。人間と自然の結界を越える時、なにがしかの祈りが必要だと思うようになった。

写真はすべてSIGMA DP3 Merrill クリックでフルスクリーン推奨









横谷峡屏風岩の氷柱
原村からの雪山
蓼科大滝
霧ヶ峰ヴィーナスライン
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