1.28.2016

ノー・ニュークス権

昨日、半日時間があったので、
原発メーカー訴訟の第三回口頭弁論を傍聴した。
昨日は、時間前の傍聴希望者には全員に傍聴券が配られたようだった。
東京地裁の一階の広い喫煙室で、いろんなタイプの人間が煙草を吸うのを観察して
時間ギリギリに101号法廷に入った。

写真はすべてiPhone6



正面には3回目の口頭弁論から変更になった新しい裁判官が座り、
左側には原告、右側にはGE、東芝、日立の代理人が座り、普段感じることのない冷たいエネルギーのかたまりが両サイドに陣取っているようだった。
基本的には事前に提出された書面をもとに原告被告両者が弁論パフォーマンスをするのが裁判というものだと思うが、昨日はいくつか違和感を感じる点があった。

一つは、なぜか突然変更になった新任の裁判官だ。少し笑いながらスクリーンを見る為に傍聴側に背中をむけることをエクスキューズしたり、腰の低い営業マンの様に細かいやりとりをしたことだった。私の勘違いかもしれないが、公正中立にきちんと天秤の役割を果たすことが職務であれば余計な笑いもエクスキューズも必要ないはずであり、私の50年くらいの人生経験において公の場で無駄に笑ったり余計なアクションをするのは、何かをごまかすためだったりすることが多いように思う。
裁判官は、この裁判の最後に、次回裁判の予定は決まっていて書類提出期限も何度も確認しているにも関わらず、わざわざ『今日は結審しません』と口にした。あたりまえだ、まだ何も終わっていない。なのに彼はまるで次回は結審するかもよ〜みたいな脅しとも思えるような含みを感じさせるためだけにこのようなことを言ったとしか思えなかった。

もう一つは、GE、東芝、日立の被告弁護団の発言だ。
様々な立場・心情を抱える訴訟原告団を膨大な時間をかけて手弁当で束ねている有志による原告弁護団が事前の綿密な書類準備と丁寧なパワーポイントを準備して臨んでいるにもかかわらず、被告側のGE代理人は資料も確証もないような思いつきの『意見』のようなものを口にしたことだった。そしておしまいには、早く裁判を終わらせたいと子供のようなことを話した。原告団がパワーポイントによる説明をしている途中に5分超過しているから早くしろなどとまったくおかしなことで口をはさみ、予定に無い発言をするといって立ったただのパフォーマンスだけのようなものだった。東芝の代理人にいたっては、一刻もはやく終わらせたいと一言言う為に一度立っただけだった。日立の代理人は一言も発言していない。
(担当の原発の壊れ具合によって各社の態度も違うようだ)
もちろん、原賠法という法律の現在における違憲性を問う裁判において、現状では原賠法に守られている被告側はあまり余計な話はしたくないだろうということはわかってるつもりだが、命を削ってノーギャラで裁判に臨んでいる原告弁護団と、はるかに潤沢な予算とギャラをもらって仕事をしている被告弁護団のコントラストがとても奇妙に感じられた。

この裁判では世界で初めて『ノー・ニュークス権』という言葉が使われた。おそらく世界中に絡み付いた原子力産業のしがらみは、今後もエネルギーだけにとどまらず軍事や核開発をも巻き込んでぐるぐるにかちかちになってしまうだろう。いや、もう既に人間の良心などではとても壊すことの出来ないおそろしく固いものになっているだろう。
司法世界の正義の浪人達が仕込んだ小さな小さな『No Nukes Rights』という概念がいつの日か、プライバシーやパブリシティー権などといった法律書には載っていない言葉と同様に普通に人々に口にされるようになったとき、ようやく人類が次の段階に進化できる時ではないだろうか。

原発メーカー訴訟原告団・弁護団公式サイト

原発産業の歴史を変える可能性のある小さな始まりの裁判直後の記者会見
驚く程マスコミ取材陣は少なかった。 

1.14.2016

Quintessence再起動


@八ヶ岳大橋

年があけてからもあまり気温が下がらないおかげで、
雪道ドライブも雪中行軍もなしに、冬場の澄んだ空気の中で
正月から時間があれば気になるポイントに気軽に写真を撮りに行っていた。

@美し森展望台

ようやく10日を過ぎたあたりから
明け方に窓ガラスの内側が少し凍るようになった。


昨年スタートしたQuintessence(カンテサンス)
に加える写真を積極的に狙うシーズンの到来である。

昨日の朝、ユニクロのももひきの上にクシタニのレザージーンズを履き、綿のソックスの上に厚手のウールのソックスを重ね、履き慣れた長靴で川に突入した。漁師が潮の流れと満ち引きを想定しながら獲物を探すように、頭に入っている水辺のポイントと太陽の角度をイメージしながら軽トラを走らせた。
いったいどんな行程でできあがるのか微速度撮影で見てみたくなるような不思議な造形や宝石のようにきらきらと朝陽に輝く氷達は、笑ってしまうほどユニークで美しい。まるで氷の女王の理不尽な魔法によって熱エネルギーを奪われ偏屈な固体に封じ込められた水の分子がまるで太陽のフラッシュとともに魔法が解かれ喜びながらを液体へと戻っていくようにも思える。あたり一面に存在する唯一無二のつららや氷を瞬間的に判断しながら次々と写真に収めていくのは言葉では表現出来ないほど不思議な高揚感がある。
電池蓋が破損してカードが剥き出しになっているSIGMAを水に濡れすぎないようにケアーしつつ、氷やこけで転ばないように気をつけながら、まるで子供のように凍り付いた川を歩き回った。
あたりには誰もいないのをいいことに、熊よけもかねて訃報を聞いたばかりのデビッドボウイをiPhoneマックスボリュームで聞きながらカメラのバッテリー5個が消耗するまでの約2時間、無心で氷にむかってシャッターを切った。サーという称号を受け取らずに最後のシングルPVに自らの死を盛り込んだ一ミュージシャンとしての生き様は、若い頃から聞いてきた音楽と青春の記憶とともに私の身体に深く刻まれた。

吐竜の滝の帰路、山全体を震えさせるような凄まじい空気を切り裂く音がした。おそらく猟銃の発砲された音だろう。その音の余韻がこだまのように数秒間感じられるほどだった。音楽を聞いていない静かな状態だったらとっさにしゃがみ込んでしまうほどだろう。山にいる生き物すべてがきっと驚いたはずだ。狙われた動物のこと、流れ弾の心配、動物を銃という飛び道具で殺す人間のこと、さまざまなことが頭をよぎった。駐車場に戻ると鳥獣捕獲活動実施中というステッカーを貼ったジムニーが止まっていた。

(写真はすべてクリックでフルスクリーン推奨 SIGMA DP2/DP3 Merrill)















2016年も地球はどんどんいろんなもので
汚染され続けていくんだろうと思うとやりきれない気持ちになる。
金儲けやマネーゲームのための産業を考え直すべきだと思う。
人間の良心では後戻り出来ないような利益優先の産業は
きっと取り返しのつかない付けを人類にもたらすことになるだろう。

少しくらい金があったところで、
他人より少し値段の高い服を着たり
ピカピカの高級車に乗って、
高い家賃やローンを払うだけのことで、
むしろ余計な欲が増えるだけである。
それぞれがつつましくシンプルに笑って生きる術を
身につけていかなければ、と思う。

簡単なことではないかもしれないが、
それぞれが望むつつましい幸せと、
隣人に対する思いやりと、
限られた地球の恵みを無駄遣いしない暮らしを心がければ
人類の歴史も捨てたもんじゃなくなるはずだ。


どうぞ、今年もよろしくお願い申し上げます。
中山達也