5.31.2011

赤外線写真

放射線写真(前回ポスト)とくれば、次は赤外線写真である。
目が眩むような強い日差しを見ると、赤外線写真を撮りたくなる。

目の前の景色がとろけながら、貧血で目の前が真っ白になる瞬間に
網膜に浮かぶような、そんな白昼夢のような写真になる。
植物の葉が白く輝き、青空が黒く沈む。
人肌は、透き通るように光り、血管が浮かびあがる。

フィルム時代はコダックやコニカの赤外線フィルムで、
かぶるのを誤魔化しながら、撮影したものだが、
デジタルになると、フィルム装填の煩わしさから開放されて、
赤外線フィルターをレンズ前にかざすだけで、
フィルターやセンサーの種類に応じて、独特の色味の赤外線写真を撮影することができる。
赤外線の量によって、カメラを固定する必要があったり、
赤外線のピントずれ分を調節する必要があるが、
それもデジタルカメラのモニターで確認することが出来るので、
随分、お手軽になった。

ただ、一時期赤外線フィルターによって服が透けて撮影できるということで、
マスコミに騒がれたせいか、日本国内では赤外線フィルターの種類が少なく、
微妙な波長の違いのフィルターはサイズ種類ともに日本では入手しにくいことと、
黒いフィルターを付けたカメラを人に向けると、変態扱いされることがあるのが残念である。

一般的なデジタルカメラでは、赤外線をはじくようなフィルターが
センサーに装着されているので、そういうものが付いていないシグマやライカのデジタルや
デジタルバック等の機材でないと、思うように赤外線がセンサーに届かない。

暑かった昨年の夏、
海外の通販サイトで入手したHOYAのINFRARED[R72]フィルターと、
ローパスフィルターを持たないシグマDP2をぶら下げて、
ちゃりんこで代々木公園(上)と日本近代文学館(下)を散歩した。
ともに、色味を抜いて、コントラストを調整している。
たしか、両方とも絞りは5.6シャッターは10秒ほど。



今年の梅雨が明けたら、
デジタルバックで人物の体が透き通るような赤外線写真でも撮ってみようと思っている。

5.28.2011

放射線写真

かれこれ6,7年前だろうか。。
風邪を引いてしまい、早く治したいのと、
普段あまり病院に行かないので
どさくさ紛れに血液検査もしてもらうために近所の病院に行った。
「しばらく健康診断もしてないし、もし可能なら念のため血液検査もしてもらえませんか?」
「そしたら、レントゲンも撮ってみる?」
チャンスである。
実は話の分かってくれそうなドクターを待っていた。
「あの~実は私カメラマンでして、人物のレントゲン写真を撮影したいんですが
今から撮る自分のフィルムをテストとして持って帰ってもいいですか?」
「なるほど~一枚は残さなきゃいけないから2枚撮りましょう・・・」
「次回、もし、モデルさんの承諾があれば私が撮影することは可能ですか?」
「多分、可能だと思います。事前に連絡を下さい」
そんなわけで、熱があるにもかかわらず、
まんまと自分の頭蓋骨(上目で睨んでいる)の写真を持ち帰った。


一枚が約50マイクロシーベルトだから合計100マイクロシーベルトの外部被曝である。
シーベルト・ベクレル・1号機・2号機・3号機・格納容器・ガイガーカウンター
こんな言葉が日常的に耳に飛びこんでくるSFちっくなご時世になってしまい
レントゲン撮影も被曝という現実があることを実感している。
実は癌の放射線治療による衰弱や髪の抜けなども、
放射線被害であるという話も聞いたことがある。
人間はレントゲン写真を開発した時点から、
技術的にも倫理的にもあまり進歩していないのかもしれない。

もちろんチェルノブイリの記録動画にも放射線は写っている。
チェルノブイリ・クライシス
(4分20秒あたりから)
最近は病院のX線撮影は特殊な感剤とモニターのシステムになってきているようだが、
もちろんそれにも写る現象があるようで、
富士フィルムが公式に原発の影響と推察している

いっそのこと、福島の原発ぎりぎりまで近寄って
8×10のフィルムカメラで3日間くらいの超長時間露光でがちがちに絞って
放射能のきらめきの中にそびえる原子炉建屋群を撮影したいくらいである。


福島の親達が子供達の20ミリシーベルト規制に涙の抗議をしても
文部科学省は規制値を変えない。
俳優の山本太郎さんが役者生命を懸けて、
Youtube上で子供の疎開を呼びかたことで
予定していた番組を降ろされたようである。
事務所も辞められてしまった・・・
山本太郎さんのツイッター
なんともはがゆい、、はがゆくてたまらない社会だ。


放射能に対する温度差で国民・学校・会社・家族は混乱している。
悔しいが個人としてどうしたらいいのか分からないのが正直なところである。
他力本願になってしまうかもしれないが、
法律で定められた年間1ミリシーベルト基準をもとに
弁護士の方々が力をあわせて、
司法の立場から子供達を守って欲しいとも思う。

今日、関東も梅雨入りした。
放射能の雨と風に日本が包まれるのは
風評でも、デマでもない、、、
悲しいかな、紛れもない事実なのである・・・


もう、、ほんとに、、素直に思う。
この期に及んで原発を推進する人間が利権と金目当てなのは国民はみんな知っている。
もう、、やめようよ、、まじで、、原発・・

5.27.2011

はじめの一枚


おそらく生まれて初めての写真である。
親父がマミヤ6あたりで撮ったものだと思われる。
なぜかティファニーの錆びたシルバーの写真立てに収まっている。
昭和39年(1964年)、小倉。
私が生まれてすぐに、この白銀助産院は潰れたらしい。
ちなみに体のどこにも666のあざは無い。

まだ、2歳とか3歳のころに
父親に抱かれて行った三萩野のキャバレーで
綺麗な色のドレスを着た女性達にとっかえひっかえ抱かれていたのが、
かすかに残る最も古い記憶である。

子供の頃は、どうでもよかったこんな写真だが、
46年も生きると、神経の一部がタイムマシンに乗ったかのように反応する。
古い写真の持つ素晴らしい力のひとつである。

5.21.2011

ずっと好きだった

斉藤和義さんのご自身による替え歌「ずっとウソだった」が、随分話題になっていた。
お子様が生まれたばかりの斉藤さんの魂は、多くの国民に届いたと思う。

ただ、、、私自身は、オリジナルの「ずっと好きだった」のほうがこの時期、強く胸に突き刺さる。



平和ボケしたまま、のほほんと暮らしてきてしまったが
生まれ育ったこの国は、何物にも変えがたく、
初恋のように、ずっとずっと好きだったぜなどとシャウトしなくとも、
心の奥底には、この国を愛する気持ちが確実にあったように思う。

いろんな事情はあるだろうが、
バッジや利権を脱ぎ捨ててでも、大切にしなければいけないことがあるはずなのに、
この国はあいかわらずどこを向いているのかさえわからない。

どう考えても避難させるべき人々を放射能にさらし続けたまま、
グリーンピースという第3者の海洋汚染調査さえ断った
疑心暗鬼なまま、日本人に魚を食べさせるつもりなのか・・
ビルの屋上で計る・・
魚の骨と内蔵を除いて計る・・
土の表面だけじゃなくて掘り返して計る・・
そろそろ、、国民なめんなよ。
パニックを避けるなどという名目の後出しジャンケンな事後報告のオンパレード。
ホールボディカウンターで、至急国民のデータをとって、晩発生の健康被害に対処するどころか
いまだにさまざまな情報を公表もせず、違う話題を出しては、すっとぼける政府。

世界各国が送ってくれた線量計すら成田に放置したままである。
世界基準を大幅に超える暫定数値に基づいた水・食物のせいで
じわじわと内部に放射能が溜まり、すでに関東圏でも母乳から放射能が検出されている。
原産地表示は避けるようにというお上の通達にいたっては絶句である。
風評被害こそ、政府がもたらしたものであることを認識していただきたい。

「今は申し訳ないが国の方でデータを管理、避難指示したい。
ある時期が来たら公表し自主判断に任せたい。」
(あとで言うから好きにして?酔っ払いのおっさんでもなかなか言わない)
原発担当の内閣総理大臣補佐官がこんなことを口にするような国を、
いままで俺は好きだったのか?
この国において学校や会社が正常に動く限り、人々が自主判断で個々に行動するのは
非常に難しいことである。
戦前の大日本帝国でさえ、子供を集団疎開させていた歴史があるというのに。。。
悔しくて涙がちょちょぎれる。
いろんな部分でお金が足りなくなることもあるかもしれない。
ただ将来的に、お金のやりくりをすることと、健康で平和に暮らすことは、
決して比べるようなことではないと思う。

素人目にも、かなり危うい状況であるメルトダウンを
ほんとうにこの国は、乗り越えられるのだろうか・・・


高校生まで暮らした実家の2階の窓から眺め続けた足立山、
つくしを採り、ススキをたばねてチャンバラをした線路脇。
ぎらぎら光る線路の摺り減ったはがねと、油にしみて黒光りする枕木。
警報機がなると慌てて逃げながら、
黒煙を吐き汽笛をならして小さくなる蒸気機関車を見送った。
轢かれた犬達を線路脇に埋めていた日田彦山線。
この景色から逃げたくて、上京した。
ほんとうは、いい加減に写真に撮るつもりはなかったが、
仕事で小倉を訪れた際にふらりと立ち寄って、不覚にも横目で一枚押してしまった。
ずっと好きだったのかもしれない、、、しょっぱい写真になった。


暴走する放射能の火をこの国が収めることが出来るかどうかはわからない。
それでも、、、日本人それぞれが、最期に、、いい意味で「ずっと好きだった、日本・・」
と言える国でいて欲しいと心から願っている。

5.19.2011

PANORAMAN

ワイドラックスF8というレンズが回転するフィルムカメラで撮影したもので、
パノラマとマン(人類)をミックスして、勝手にパノラマンと呼んでいる。
宇宙人に見て欲しくて撮っている(マジ)。

80万人の日韓ワールドカップ@ソウル
テーハミングコールで全てが揺れていた・・
Blog post→日韓ワールドカップ
天皇賞@中山競馬場
サンデーサイレンスの子供が勝った。
ロシアの修学旅行生@サンクトぺテルブルグ
先生に声をかけたらすぐさまびしっと並んでくれた。
シアーズタワー@シカゴ
アニメの中の宇宙のコロニーの様だった。
シアーズタワー@シカゴ

セーヌ河@パリ

ノイズの朝までパーティー@本栖湖
撮影で初めてゲロ吐いた・・・
バチカン博物館@バチカン市国
右端のコートを着た男性がとても素敵だった
独立記念日のハンニバル@USA
星条旗の服を着たひとびとの行く先が黒雲に覆われていた
マンハッタン@NY
おもわずきれいなドレスのお尻にシャッターを押してしまった
ナイアガラ@カナダ
虹が出たので濡れながら撮影、カメラは壊れなかった
根岸公園の花見@横浜
初めて行った時は、あまりの平和さに驚いた
ドイツワールドカップのスクランブル交差点@渋谷
友人に肩車してもらった・・
東京女子マラソン@東京
道一杯に選手が溢れると予想していたが、しょぼかった。
エッフェル塔@パリ
みんな転んで吹っ飛んでもケロッとしていた
ノートルダム寺院@パリ

一般参賀@皇居
親父とデート
システィーナ礼拝堂@バチカン市国

タイガーウッズ@宮崎フェニックス

海水浴@湘南

ミスユニバース2005@東京
この一枚の為に潜り込んだ
@東武ワールドスクエア

5.14.2011

地球


宇宙で写真を撮ってみたい。
カメラマンなら誰でも一度はそう思うに違いない。
以前、雑誌のイタリア特集で、
どうせならイタリア全土を見渡せる高さで空撮したいと半ば冗談交じりに言ったら、
某コーディネーターの方が、ソビエト空軍に頼んでお金を払えば
イタリア全体が見えるくらいの成層圏なら、ミグで飛んでくれるだろうということだったが、
未だに挑戦できていない・・・
ものすごいGで鼻血はでるし、気絶したら撮影できないらしい・・・

ちょっと悔しいが、4次元デジタルビューアー「Mitaka」で宇宙ロケしてみた。
多分、、、こんなに美しい地球を見たら、、、
世界中で頻発する災害など、想像もできないかもしれない。
世界の災害マップ
世界ではいろいろな危機がうごめいていることを、
悲しいかな、この歳になってようやく認識し、実感するありさまである。
ほんとうに情けない。。

レベル7な福島も結局メルトダウン。
2ヶ月経っても手に負えない4つの原子炉と意味不明な燃料プール。
テレビも大騒ぎどころか、普段と変わらぬ番組編成。
大手新聞にいたっては、号外すら発行しない。
「申し訳ない」という気持ちのかけらも感じられない
事務的な東電の会見は、さらっととんでもない事象を説明する。
平和ボケなどと揶揄されてきた日本人だが、
実は、放射能にも慣れしてしまうほうど、ボケてしまっているのかもしれない。
5年後10年後に、健康な子供が減り、寿命が縮み、出生率が低下して、
発病の恐怖におびえながら生きていく時代がくるのか・・・

アメリカ在住の友人には、人が集まる場所にはなるべく近づかないように
大使館からテロ報復に対する注意喚起のメールが来るらしい。

多くの人類が、世界で多発するDisasterを乗り越えながら
歴史を作ってこれたことに感動すらおぼえるが、
人類みずから、引き起こした災害も少なくない。

21世紀に入り、どうやら地球が人類に警鐘を鳴らしているように思えてならない。

福島浜通りで頻発する余震は、
大地の神ガイアが、放射能漏れを警告してる気さえする。

このところ中学校の同窓生の写真を撮ったり、
古い友人と接触する機会が増えている。
いい歳こいてしまったせいもあるが、
何かの虫の知らせなのか・・

この宇宙船地球号の乗り組み員として、
なんとも行き場のないはがゆい思いをする今日この頃である。

米国でプルトニウム・ウランが検出される:過去20年間で最大値!プルトニウム239やウラン238が大幅上昇

5.10.2011

Bill Frisell

昨夜はマガジンハウスの池田軍曹と、
約2年前に取材した金沢の21世紀美術館そばの「広阪ハイボール」の宮川さんとの一献。

はしご4件目の「エンドルフィンⅡ」でツェッペリンⅣをきいていたら、池田さんがトライアスロンのお土産とともに5枚のCDを手渡してくれた。
「これ、好きそうだよ・・聞いてみて」
「びるふりぜいる。。ああ〜写真、撮ってますね・・・」

二日酔いのまま、パソコンのトレイにCDを入れて
部屋の壁一面に並んでいる数百のプリントケースの中から
Bill Frisellの箱を引き出して、プリントを眺めた。

どれもす〜〜っと身体に染み込んでくるようなギターが素晴らしい。
その中の一枚に「Disfarmer」という写真をモチーフにしたアルバムが入っていて、気になったので調べてみると、どうやらDisfarmerさんが写真館で撮り溜めた写真にインスパイアされてBill Frisellさんが中心となって作成されたアルバムのようだった。

なんでもない市井の人々のポートレートにぴたりと収まるような音楽を、酔った隙にさらりと教えてくれる池田さんのいつものプレゼントに感謝感謝である。現在製作中の「企救中」の写真にぴったしかんかんじゃないか・・

こういう静かな音楽を聴きながら、本当の意味で穏やかに歳を重ねるということを、震災後、意識するようになった。時代はおそらく変わるだろう。何が自分にとって大切なのか、いままでとは違う物差しが必要になるのかもしれない。何をするか、とかではなく、「どう生きるか?」そんなことを考える時代が、そこまで来ていると感じる。

仕事で何度かご一緒させて頂いた業界と世界を飛び回っている高城剛氏のインタビューがとても面白かったのでお暇な方は是非。

Hasselblad 100mm クリップオンストロボ トライX

5.08.2011

乙武洋匡

ネットを見ていたら彼が始球式で投げたという記事を目にした。
さっそくYoutubeで検索してみた。
ばりばり、お元気そうである。
お子さんもお二人目が昨年、お生まれになったようで、
めでたし、めでたし・・・
さすが、、、、、撮影でお会いする度に、、、
こっそり車椅子に貼ってある女の子のプリクラが変わっていただけのことはある。


爆発的に売れた「五体不満足」から2年ほど経ったある日、電話が鳴った。
講談社インターナショナルで海外版を作るための打ち合わせのアポだった。
会社に伺うと、外国人の担当者が
「なか~やまさんの、撮たしゃしん~、すば~らしいですぅ~
あれ~~を、スタジオで撮てください~」

月刊現代の撮影で銀座の川沿いで乙武さんを撮った際に、
実はとってもフランクでやんちゃな性格なのに、
いつも車椅子にきちんと座って、礼儀正しくとてもハンサムに思えてしまう従来の
媒体イメージとは違う空気の写真が撮りたくて、、、、
「持っていい?」と聞きながら車椅子から抱きあげて、そのままベンチに座ってもらい、、
万歳して頂いて撮った写真が、外国人のエディターの目に留まったようだった。

講談社の地下のスタジオで、外国人エディターが
「オ、オーバー?」な感じであっという間に撮影は終了した。

忘れた頃に、ぽつりぽつりといろんな貨幣での振り込み確認書が届いた。
スタジオで撮影した別カットも新聞広告等でときどき使って頂いた。

でもって、、またまた忘れた頃に、、、
難しい名前のところから連絡が入った。
どうやら「教科書」に乙武さんの写真を掲載したいということだった。
なぜかノーギャラということだったが、、、無事「教科書」デビューと相成った。

文科省には、いまだにおごって頂いたことはないが
いつの日か乙武さんにおごってもらうことにしよう(笑)

Hasselblad 100mm ポジ(切り抜き)

5.04.2011

World Trade Center


アメリカ同時多発テロの約3年前、ニューヨークに自主作品を撮りに行った際、
一度は覗いておこうと思い、X線の荷物検査の観光客の列に並んで
ワールドトレードセンターの展望階と屋上を訪れた。

波打ったスチールの板で出来たオブジェクト達が、
いかにもアメリカらしい幸せそうな一角を演出していた。

そして2001年、アメリカの経済の象徴であるこの建物と、
力の象徴である国防総省とホワイトハウスがテロの標的となり、
貿易センタービルは、この展望階もろとも崩れ去ってしまった。

一昨日、テロのボスがアメリカの軍事作戦で暗殺され、
空母から水葬されたそうである。

ロイヤルキッスで盛り上がっている人々の映像と、
一人の男がアメリカという世界最強の国家に暗殺されて熱狂している国民の映像、
そして、M9の地震と津波、原発事故や原発のなんともお粗末な記者会見の映像が、
同時多発的に目に飛び込んでくる。

写真を撮ることでしか、世界との繋がりを感じられない
などと適当な言い訳をしながら、甘えて生きてきてしまったが、
今現在、とても微妙なバランスによってかろうじて成立している世界に
生きていることを強烈に意識せざるを得ない。

楽しかろうが悲しかろうが、
正しかろうが間違っていようが、
どげんかせんといかんと、どんなに頭ではわかっていても、
かくも歴史とは個々の苦悩とはおかまいなしに、進んでいってしまうものなのか。。

人類の歴史の不思議さを、ひしひしと感じるゴールデンウイークである・・・

カプリ島

放射能という目に見えない雲のおかげで、
日々の暮らしの中で、気持ちよく空を見ることが出来ない。
それを言い訳にして、朝までお酒を飲む機会が増えている。
家の近所で最高の1500円ランチを出してくれていた中華レストランも閉店となり、
好きなレコードをかけてくれるバー「エンドルフィンⅡ」も今月で閉店。


気になっていた福島3号機の爆発に関する外国人の見解
キセノンの検出データ
なんとも、、今頃言われても。。。である。
どうりで爆発したころのデータを東電・政府があまり公表しないのもうなずける。
プールにあった数百本の燃料棒は一体どこにいってしまったのか???
いったい何に向けて水をまいていたのか・・・
降下した放射性物質の月別推移
どうやら「安全だ安全だ」と繰り返していた爆発直後の3月あたりは
がっつり放射能が舞い降りていたようで、、、
このまま東電・政府主導で原発処理を続けていくことが正しいのかどうか?
放射能がたっぷり降った後でSPEEDIの降下予測のデータを公表したが、、、
ほんとに頭がおかしい政府である。
5年後10年後にどういった健康被害がでてくるのかを考えると頭がくらくらする。
FBIなんてものがあるのは映画の中だけで十分と思っていたが、
日本にも完全に独立したそういう機関が必要である。
(どうせまた新たな利権創出にもなるんだろうけど。。。)

今後も長期にわたって、
震災の影響が日本中にボディブローのように効いてくること考えると
原発の無いイタリアの小さな島に思いを馳せたりしちゃうわけである。


2001年のBRUTUSの「イタリアかぶれ」号の
たくさんのチームを現地に送ってイタリア中を取材するという贅沢なロケで、
取材地のひとつとして、モナコからフェリーに乗ってカプリ島を訪れた。

島の中ほどにある小さな高級ブランド店が立ち並ぶ「大人の竹下通り」では
世界中から集まった観光客がのんびりと散歩をして、
水着のままエルメスで買い物を楽しんだりしていた。
かわいい店舗を覗いては取材しながら、
すれちがう人たちに声をかけてをスナップしていたら
どこからともなく現れた4,5人の親父カメラマン達が私の後ろでカメラを構えていた。
私が動いて、ほかの人を狙うとみんながぞろぞろついて来て
私の後ろからシャッターを押していた。
「チャオ」と「ベリッシモ」と「グラッチェミッレ」くらいしかしゃべれない私は、
ひとりの親父に手招きされて近くの小さなおみやげ物屋さんに連れていかれた。
店内にはスナップされた写真が壁一面に貼られていた。
なるほど、、島を訪れた人たちのスナップを撮って、
それを店先で販売しているというわけだった。
その親父は「お前、うまいな~俺の店で働かないか?」
デジタルでもないのに撮り方で判断するのはさすが地元カメラマン親父である。
日本のドメスティックな雑誌の取材で来てることを説明すると、
「いつでもうちに来たら、雇ってやる」
そんな嬉しいこと言ってもらえるなら、、、
切り立った岸壁で美しい海をバックに最高の記念写真だって、、、、
青の洞門の中で紺碧の記念写真だって、、、
島中ロケハンして最高の旅の思い出写真を撮りまくってってあげたくなるじゃないか・・

こんな出会いもあったこともあり、島の美しさは私の中で特別なものとなった。
瀬戸内海の大三島という同じ地中海式気候が田舎であったDNAが
反応しているせいもあるかもしれない。


いつの日か、仮に私が行方不明にでもなって、
カプリ島で楽しそうに写真を撮ってる怪しい日本人を見つけたとしても、
見て見ぬふりをしていただければありがたい・・・

あ、あと、、
もちろんチップは弾むのはお忘れなく・・

Canon eos1N ポジ (click to view large size)