9.28.2011

世界の七不思議

子供の頃、たしか小学生高学年くらいだろうか。。
「世界の七不思議」のようなものにとても興味があった記憶がある。
時折、テレビで放送されるUFO特集やピラミッドの謎やネッシーの捜索など
食い入るように眺めたり、図書館に行ってその類の本に夢中になっていた。
近未来的なアニメに夢中だったし、
ブラックジャックの読みすぎで医者になる気にもなっていた。
自分が大人になる頃には、
人類の研究と叡智によって多くの七不思議は解き明かされて、
空中に車が飛び回り、難病も克服されて
それはそれは素晴らしい未来の世界が広がっているんだと、子供ながらに夢見ていた。


ところが、
2001年宇宙の旅の年もあっさりと過ぎ去って、
車の形は多少丸みを帯びたものになったが、
子供の頃に求めていた七不思議の答えは、
ほとんど明らかになっていない事には、ほんとにがっかりする。
いまだにヒマラヤの雪男は見つかっていないようだし、
バミューダ海域は、もう事故が起こらないのか?
ナスカの地上絵だって、ほんとのところいったいなんなのか?
池上彰さんでもきちんと説明してくれないだろう。

ま、その時々のロマンチックな謎かけだよと言われてしまえばそれまでだが、
しょせん人類の叡智なんてものは、
時代時代のコマ切れの自己満足のようなものなのかもしれないとさえ感じてしまう。

フクシマから漏れ続ける放射能を誰も止めることが出来ないようである。
じわじわと忍び寄る健康被害に怯えながらも、多くの人々は普通に生活をしている。
子供の頃に検便・検尿なんてものをやりながら、
こんなもの、、未来ではトイレがすべてやってくれるはずだなどと夢見ていたが
蓋を開けてみたら、水がお尻を洗ってくれるくらいで、ちょっとがっくしである。
やるべきことはわかっているはずなのに、
技術的には方法はわかっているはずなのに、
少しお金が足りなくたってちょっと考えればいくらでもやりようはあるはずなのに、
時間だけがどんどん過ぎていく。
人間って、なんでも出来るような顔して、この地球上でえらそうに群れをなしているが
あまりたいした生き物ではないようである。
まったくもって、この世で一番の不思議は人類そのものであると、最近ようやく気が付いた。

あまりのテレビ番組のつまらなさに、ブログでも書くか、、、とは思ったが、
ぐだぐだの内容になってしまった。

iPhone4 PS Expressアプリ

ダヴィンチだったら、お湯を沸かして発電する為に原子力の火を使っただろうか?

9.23.2011

土屋裕一


芝居をこよなく愛する役者の土屋裕一さんである。
個人の活動に加えて「*pnish*」(パニッシュ)という同世代の4人組のユニットを作っていて、
精力的に舞台活動も展開している。

約2年前、彼が直接電話をくれて、
「達也さん、カレンダー作りたいんで写真とって下さいよ!」
ファンの為に心のこもったカレンダーを作りたいということだった。
自宅で撮影した白バックの写真を月毎に蛇腹折にして、
彼自身の手書きの数字で構成されたカレンダーは、とても好評だったそうである。

上の写真は、それには収められることはなかった私の中でのベストショット。
「なんかこ~~アメリカのど田舎にふらっているような汚れ・・・・・・」
に彼が応えてくれたショットである。

舞台上で役者が、さまざまな人格を身にまとい、縦横無尽に飛び回り、
感情を爆発させているのを見ると、なぜだかめちゃくちゃやきもちを焼いてしまう。
舞台以外では、普通の人間のふりをしているくせに、
いざステージに登場すると「演技」というものに命を捧げて、
毎回毎回、様々なキャラクターに変身してるのを見るのがなぜか悔しいのである。
そんな状況で、我々のイメージをさらにぶち壊すような人格を見せてくれた時に、
その悔しさが倍増する。

こんな「汚れ」な風情を一瞬でかもしだす彼に、実はなかり嫉妬してるのかもしれない。


そんな彼が久しぶりに電話をくれた。
「達也さん、カレンダー、、また撮って下さい!」
一杯やりながら、打ち合わせをという事で、台風が直撃している渋谷の町に
長靴を履き、パーカーを羽織って飛び出した。
酒を飲む演技でもしているようにパカパカとワインを飲む彼のペースに巻き込まれて、
随分飲みすぎてしまった。
おかげで、気が付いたら電話のデザインが変わっていた。


カレンダーのパッケージ案はほぼまとまった。
嫉妬を感じさせてくれる役者を追いかけて写真を撮ることが出来るのは、最高の喜びもである。
さて、どこにいる彼を追っかけるべきか、、楽しい悩み事ができてしまった・・・

9.21.2011

アブラゼミ

9月11日、犬の散歩道の脇でアブラゼミの亡骸を発見した。
iPhone4からFacebookへの写真のアップロードのテストと、
適当にダウンロードしたフォトショップアプリを試すために写真を撮った。



12日、すでにアリ?によって胴体部分が持ち去られていた。
もしかしたら雀あたりの仕業かもしれないが、場所はほとんど移動していなかった。



13日、いったいどんな目的なのかは不明だが、
頭部の辺りを中心にアリ塚のようなものが形成されていた。
すでに頭部が崩壊し始めているように見える。
特殊な唾液等で分解を促進しているのか、土壌の働きによるものなのかは不明。
陽が暮れて暗くなっていたために、iPhoneのストロボが自然発光した。
一瞬、セミの体からエクトプラズムが放出されたと驚いて後ろに倒れそうになった。


14日、あきらかに頭部が崩壊しており、アリ塚の砂の粒が粗くなったように見受けられる。
2,3匹のアリの姿はあるが、彼らがどんなマジックを使っているのかは不明。


15日、世界最強の近所のおばさんの掃除によって、
いつ葬り去られてもおかしくない状況ではるが、着々と分解が進んでいる。
やはり分解が進むにつれ砂の粒子が大きくなっているようだ。
左の羽が無くなっている。比較的、手足の太いパーツが確認できる。


16日、外骨格の硬い部分と羽を残して細かなパーツは無くなったようである。。
アリが、何かを運び出している気配がほとんど感じられないにもかかわらず、
わずかに残っていた手足の筋が無くなっている。
アリが巣に持ち帰ったのだろうか?
砂の粒がなぜか細かく元に戻ったような印象を受けた。
砂マジックが終わったのだろうか?


17日、昨夜の強い雨で何事も無かったように、彼のエヴィデンスは消滅した。
まるで低い声で「俺のことは、忘れてくれ」と言わんばかりに・・・・



小学校のラジオ体操で、寝ぼけながら無意識に見つけてしまうセミの抜け殻のせいで、
おそらく男子の脳内には、セミの死生観と孤独なロマンが植えつけられているはずである。
何年も地中で孤独に暮らして、最後の夏に地上に這い上がり
大声で叫び、空を舞う。
そして最後に交尾をして恍惚の「ジジッ・・」
人知れず虫けらとして死んでいく彼らに、一度インタビューをしてみたい。
そして彼らがセミ同士でいったいどんな文化?
を共有しているのか聞いてみたいと願う夏の終わりである。

9.19.2011

「さようなら原発集会」9.19

5万人が集まるかもしれない脱原発集会が東京の明治公園で行われた。
今の政治と報道では何も前に進まない。
何か出来ることは無いのか?という思いで参加した。
もちろんパノラマン用のカメラも持参した。

一時間前に会場に到着すると、
既に全国から集まった人々が掲げる県名や団体名が記された旗が、
まるで戦国時代の軍旗のように林立していて鳥肌がたった。

続々と大型バスに乗って、地方からの参加者が流れ込んでくる。



発起人達がテレビでは言えない言葉を叫ぶ。

Eos 600ミリレフレックス

暑さのせいか、老女が顔を蒼白にして草むらに倒れこむ
まわりのみんなが、脱原発のうちわで彼女に風をおくり救急隊員を呼ぶ。

混雑の為に遅れてきた役者が力強く脱原発を叫ぶ。



日本語に同時通訳されるドイツの方の言葉が、胸に滲みた。

大人しそうな年配の女性達も思い思いに脱原発を訴えている。

iPhone4

会場に集まった6万人の山がゆっくりと動いた。



警察の誘導により、行列は十戒のごとく246の交差点を赤信号で渡っていく。

Eos 600ミリレフレックス

iPhone4
Eos 600ミリレフレックス
若者の「意味わかんねぇし~~」が2度、耳に入った。

iPhone4

ずっと叫び続ける若い女性が掲げる団扇にはった紙を見て目頭が熱くなった。

iPhone4

カネと命とどっちが大事なのか?
政治も報道も、そろそろ本当の仕事をしなければ取り返しがつかなくなる。
日本は今、非常に重要な時期を迎えていると思う。
ドイツではSiemensが完全撤退を決めたようだ。
この6万人のデモが何かのきっかけになるように祈るばかりである。


同業者に教えて貰ったビデオ。
夜中にとてもくやしい思いをした。
「俺達はいままで何をやっていたんだ・・・」

9.15.2011

釜石

先月のお盆の直後、釜石に行った。
雑誌Numberの指令は、釜石シーウェィブスの面々と奇跡の大漁旗の集合写真である。
被災地の実景もあったほうがいいということで、
地元の方の案内で大槌町のほうまで足を伸ばすことが出来た。
編集部の許可もいただいたので被災地の写真を掲載する。

往路は新幹線で新花巻で在来線の釜石線に乗り換え。
森山大道さんの東野物語にも登場する路線である。
どんな風情か、楽しみにしていたが電車はばりばりの新型だった。
ただ、車窓に切り取られる雄大な東北の山々は緑の美しさもあって大変素晴らしいものだった。
車で行くのもいいが、この電車の眺めを見るためだけに電車に乗るのもありだと思う。

新花巻駅のホームからiPhone
釜石港には巨大なタンカーが打ち上げられ、町全体に津波の凄まじい傷跡が残っていた。
トラックや重機がちらほらと復旧作業にあたっていたが、
半年経ってなお道路以外は惨憺たる状況で、人手不足、停滞する政治、予算不足、
新たな街づくりの計画がまだまだであることをひしひしと感じる。


大槌町方面では、信じられないような内陸まで津波の爪あとが残っていて、
あらためて津波の高さを実感した。

いたることろに海水らしき水溜りが残っていた
こんなところが?と思えるような内地の建物も
2階まで津波にのまれていた
大槌町の役場ごと壊滅的な被害を受けていた。
家のすぐ裏が山なのに根こそぎ流されてしまった家に
置かれた車椅子とお供え物
山の斜面の墓地も津波にのまれて
ほとんどの墓石が倒壊していた
途中、車内で地元の方の携帯電話がぎゅいんぎゅいんといやな音を響かせた。
震度5弱の地震は、車の中ではそれほど感じなかったが、
ハンドルを握る地元の方は、海岸線と平行に走る道路から
すぐさま山に登っていく坂道に向けてハンドルを切った。
直接あの津波を経験された方が、何も言わずに間髪をいれずその行動をとったことが
津波の怖さをストレートに感じさせることとなった。
幸いなことに、大きな津波は来なかったが、高台にある親類の家の庭でしばらく様子をみた。


山の中を走っていたら、鹿が挨拶をしてくれた。
東北とは、食うほど鹿がいる場所でもある。
彼らや東北の神々は、いったいどんな思いで津波を見たのであろうか?


そして、海のちかくの山々のふもとまで大きな船が流されていた。


宿泊したのは、普通の有名なビジネスホテルチェーンだったが、
街ごと2階まで津波にのまれた影響で空調施設が使えなくなっていて、
寝苦しいのを心配していたが、お盆であるにもかかわらず、
少し肌寒いほどで、ぐっすり眠ることができた。

初日は曇りだったこともあり、美しい朝日がでることを祈って朝5時に目覚ましをかけたが、
残念なことに空は濃いグレーだった。
カメラがデジタルになって、いいこともある。
フィルム時代は、想定されるカット用にフィルムを用意してロケに向かうために
フィルムの感度や種類・量もあまり余裕が無いことが多かったが、
デジタルであればフィルムの残数も気にすることなく、
その気にさえなれば、好きなだけ撮る事が可能である。

歩いてすぐのところに巨大なタンカーが打ち上げられていれば、
少し眠くても出かけないわけにはいかなかった。

三脚に35ミリをつけたハッセルHを載せてホテルを出た。
そしてまだ薄暗い商店街ですれ違いざま、犬の散歩をしている老人に
タンカーはどっちに行けばいいか尋ねた。
もちろん方向はわかっているが、こういう時に入手する情報が
案外撮影に役立ったりするのである。
老人は一瞬「?」ときょとんとした後
「あ~~ヤマトけ。。あっちだ~」
ヤマト??軽くお礼をしながら寝ぼけた頭で、
老人も多分、寝ぼけてるんだろうなどと思いながら港に向かった。

道すがら破壊された商店街を覗きながら歩いていると、
食料品店らしき店の中から真っ黒いカラス20羽くらいが
ものすごい羽音を立てながら、ぶつかるんじゃないかと思えるほど目の前を
飛び立っていった。
どうやら、カラス達の格好の餌場になっているようだった。
そのまま入り口に三脚を据えて一枚撮った。


三脚の高さを調整しようとして、足元を見た瞬間すこし固まってしまった。
あきらかに人間が食べた後と思えるような黄色いからしを溶いたたれが入った
プラスチックの小皿が地面に転がっていた。

誰もいない港の魚市場は、満潮で地震により地盤が下がったために浸水していた。
水溜りは浅ければ浅いほど静かな鏡面となる。
一瞬、煙草に火を付けようと思ったが、何があるかわからない状況なので我慢した。


作業の車もいないので、タンカーを正面から狙うことにした。
そびえ立つタンカーを目の前にして、さきほどの老人の言葉の意味がわかった。
宇宙戦艦ヤマトである。
本来の戦艦大和は鼻先は赤かったのかどうかはわからないが、
まぎれもなく、アニメの宇宙戦艦ヤマトを思い起こさせる。
波動砲はついていないこのヤマトももうじき撤去されるようである。


今回のメインミッションである集合写真は、是非誌面にてご覧頂きたい。
汗を感じる写真にしたかったので、ハードな練習の後に無理を言って撮らせて頂いた。
完全に日が落ちる時間帯だったので、バッテリー式のストロボ一台二灯を用意した。
ほんとうはトップライトも入れたいところだったが、
撮影場所を決めて一人でのセッティングだと選手達の体が冷えてしまう。
鉄と魚とラグビーの町・釜石の鉄人達のいい写真を撮ることが出来た。
現場で連発する駄洒落はけっこう痛いが、ベテラン松瀬学さんの文章も素晴らしい。
淡々とした流れゆえに目頭があつくなる。
是非、お一人で静かに読んで頂きたい。

買うべし!
Number787号、本日発売

9.11.2011

911

震災から半年が経った。
そして、原発事故は日本の人々からほんとうに多くのものを奪い去った。

それぞれが、いろんな苦悩を抱え、
政治やマスコミにたいするはがゆい思いが国民の中に膨らみ続けるのとは裏腹に、
政治は肩書きを決めるのに夢中で何をしているかまったく見えてこない。
マスコミは依然として漏れ続ける放射能の恐怖を忘れてしまったかのようである。
まじで国がひっくり返るほどの緊急事態にもかかわらず、
いまだに専門チャンネルで現況をきっちり伝えるようなものが無いのは
いかがなものなのか?

じわじわと降り注ぐ放射能の健康被害も知らんぷりをするつもりなのか?
海外が日本からの輸入を制限しているのも、スルーするつもりなのか?
東京利権会社とも言える東電は会社の組織をも温存したまま、
微々たる賠償金でお茶を濁して、ほんとに電気料金を値上げしてすっとぼけるつもりなのか?

まじで、ドイツだったら国会議事堂と東電本社が燃えるところだ。


来る9月19日、東京の明治公園で
政府に脱原発を迫る集会とパレードが行われるようである。

こんな国家の緊急事態に国民一人一人が選挙以外で、
どう意思表明をしていいのかわからないこと自体もとても悔しいが、
ますは、この集会に参加してみようと思う。

SNSでキーボードを叩いてるだけでは、どうやら何も変わりそうにない。
日本という国の民が、今この時に何が出来たかは、
おそらく歴史の中で、いい意味でも、悪い意味でもとても重要なことになると思う。

敬老の日である。
もちろん日銭を稼ぐのも大事だが、「いざ、鎌倉」な気持ちを思い出し
先人達の「一揆」というものに思いをはせながら、
何か行動をするべき時だと思っている。

集うべし!!
そして、ネットや口コミや持てる手段をフルに使って思いを共有し、
日本の未来を少しでもいいものにしていくきっかけになればと思う。

富士山の見える湖で嬉しそうに船を操る父と母

9.03.2011

ボルト再び・・

ユセイン・ボルトが本当に伝説になるのかどうか、テレビでじっくり楽しませて頂いた。
(新設したブログのタブ「Portfolio」の巻頭にも彼の写真を収めてある)
約束していたにもかかわらず、撮影に靴もメダルも持って来なかった彼が
100メートルで一発失格になった瞬間、私は不謹慎かもしれないが少し嬉しかった。
関係者やご本人には大変失礼だが、何かしでかすと思っていた。

彼の撮影でジャマイカに行った際に、
BBCの撮影で訪れていたジェントルなマイケルジョンソンや、
静かに落ち着いてマスコミの相手をする同僚のパウエル選手を間近で見て思ったのは、
彼がまだまだ、その実力を100%コントロールする術をものに出来ていないのでは?
と感じたことがあったからかもしれない。
もちろん単純に早く走るには、そんなことはどうでもいいが、
その体を競技においてコントロールするのは精神であり心であると思っている。

今回、彼は200メートルでゴールドメダリストにはなったが、
自らの記録を更新することは無かった。


iPhone4 8ミリカメラアプリ

他人が語るのはばかられるが、
これからのロンドンオリンピックに向かう日々こそが、
彼がレジェンドになるための修行となったようだ。

スタジアムでジャマイカ国旗を振りながら応援していたクールな
彼の親父さんが今回のフライングに関してなんて言うか、
インタビューをしたいくらいである。


日頃の鍛錬の結果を、ここ一番で集中して発揮させる個人スポーツは
人物写真的な目線で見ても、とても面白い。
走高跳びのスタートから跳躍までの間に、人間のあらゆる表情が見てとれる。
深呼吸をして、まっすぐにバーを見つめる。
選手達のこの顔を撮影するだけでも、十分に素晴らしいポートレート集が出来上がる。
そして、クリアーしたときの雄叫びは、普通では再現できないほど動物的ですらある。
つい決定的なスポーツドキュメンタリー写真ばかりを欲張ってしまいそうだが、
実は世界の選手が集まる競技会こそ、人類の顔の写真を撮るのに
最高の現場だと思っている。


iPhone4 8ミリカメラアプリ

いまから、来年のロンドンオリンピックがとても楽しみである。