6.29.2011

皇居東御苑

半月ほど前、毎日新聞社で打ち合わせの後、
なんとなく皇居のお堀を眺めていたら、皇居東御苑の看板を見つけた。
平川門を渡って、警備の方にお話を伺うと、三脚持込も可ということだった。

そして今日、あがりを届けるついでに、、
というよりも、こちらのほうが優先だったかもしれない、、、
デジタル赤外線写真テストのために、皇居東御苑を訪れた。

東京に住むようになってもうじき30年にもなろうというのに、
東御苑は入ったことがなかった。
ちゃりんこで巡回する警備員と時折見かけるカメラの視線は気になるが、
日本で、一番治安が守られていて、ごみなどひとつも落ちていない、
もっとも手をかけられた緑に包まれた静かな空間が、
こんなところにあったことにいささか驚いた。

お堀の外からのアクセスに少し時間がかかるために
まさに陸の孤島のようでもあり、
中国人と白人の観光客がちらほらいる程度だった。

昨日の天気予報で雲行きが怪しくなるのを見越して、
とぐろを巻く雲と直射日光をうまく使って赤外デジタルを試すつもりだったが、
今日は信じられないほどのどピーカンと暑さのせいで、
35ミリをつけたハッセルのHを載せた三脚とカメラバックを持って
一通り歩いただけで、まじで死ぬかと思った・・・
もし、巨大な交換レンズ達も持っていたら、
宮内庁の救急車にお世話になるところだったかもしれない。

強い日差しでなければ効果が弱い赤外写真のために、早くも夏ばてをしたものの、
ほかの季節であったなら、文句の無い素晴らしい「公園」だと思う。

諏訪の茶屋( フィルターは全てFUJI SC72)
写真をクリック!
諏訪の茶屋 
諏訪の茶屋 

フィルターを口に咥えて、ファインダーを覗くので、
フィルターは汗でべちゃべちゃ。ハンカチを落としたので
え~いままよ、、でフィルター枠に突っ込んでシャッター。
光線漏れも乱反射もファインダーが見えないので、
放置プレイ


百人番所
まさに、東京セントラルパーク。

ゼラチンフィルターなので乱反射を拾うことがある。
これも、デジタルゼラチンラブということで放置!

素晴らしい空間・・知らなかった東京。
天守台
朦朧としてきたので、手持ちにスイッチ

二重橋
二重橋 
お堀を半周歩いて、泣きそうだったが
水面に植物がたくさん浮いていたので、
最後のエネルギーでフィルター装着・・・
いたるところで放射能付きの埃と落ち葉を、
勢いよく舞い上げているレレレのおじさん達に気をつけて、
最小限の荷物、履き慣れた靴で、、皆様も是非。
皇居東御苑HPで休日を確認することもお忘れなく。
あまり、はしゃぎすぎてお縄にならないように、注意事項も御一読を・・


帰りの地下鉄でホワイトカラーの皆様に、
黒いTシャツに真っ白な塩の世界地図をつけて、
三脚を振り回し、めっちゃくちゃ汗臭くて、ご迷惑をおかけしたことを、
この場を借りて、お詫びします。
「ごめんなさい」

6.24.2011

サーフィン

夏だ、海だ、サーフィンだ・・・
残念ながら、私はサーフィンをちゃんとやったことがない。

大学時代は、親に買ってもらった赤い外車で、
おねーちゃんとサーフィンに出かける連中を横目に、
「車買ったら、俺だってサーフィンくらいするぜよ・・」
カメラマンとして独立してからは、
「40くらいでサーフィンデビューでもするぜよ・・」
気が付いたら、四捨五入で50である。
ハワイに遊びに行って、サンデービーチで地元の少年にブギーボードを借りて、
果敢に海に突っ込んだのはいいが、
波にもまれて海パンがひざまで脱げる始末。


10年程前、マガジンハウスの広告部から、
タグホイヤーのタイアップページの撮影依頼を頂いた。
同時にポパイ・ブルータス・アンアンにそれぞれの構成で使用されるということで、
モノクロでサーファーのカップルをルをポするようなスタイルで撮影した。

とはいっても、海に入ってるシーンを望遠レンズで浜から狙うだけでは、
なんだかサーファーになれないカメラマンとしては、物足りない「気分」で、
ウエットスーツを着込んで、水中カメラを持って二人に付いて海に入った。

この時のスーパーナイスなプロポーションを持つ女性サーファーのおかげで、
濡れた黒のウエットスーツフェチになってしまった。
ボードにしがみついて、黒光りする女性の体を目の前にすると、
なんだか、すげえかわいいメスのいるかとランデブーしているような・・
太古にインプットされた遺伝子の記憶がくすぐられるような・・・意味不明

ニコノス28ミリ トライX
しかも匂いフェチでもあるこの鼻には、
女性の香りと海の匂いが混ざったなんともいえない脳に直行する刺激が感じられた。
恋なんて、一発で始まりそうである。
数年前にブルガリの新しい香水「アクア」の発表会でシシリーを訪れた際に嗅いだ香りは、
まさにその時の記憶を蘇らせた。
お土産に頂いたその「アクア」を数回は試してみたが、
なんだか好きな子がいるのにちっともアタックできないような、、、
まるで、幾つになってもサーフィンに挑戦しない自分を
思い出してしまうようなしょっぱい気がして、家に遊びに来た若者にあげてしまった。

銀座あたりを歩くと、忘れた頃に香ってくる「アクア」のせいで、
「50になったら、サーフィンでもやるぜよ・・・」と宣言したいところだったが、
関東の海は、放射能という匂いのない悪魔に汚染されてしまった。

グアムの放射線汚染状況

もちろん、大気もそれなりに汚染が蓄積されている。

測ってガイガー


この国の首都圏は、内部被爆も考慮すると、
しっかり法律基準年間1ミリシーベルトを超える放射能汚染地域となってしまったようである。
もし、将来的に健康被害が出始めたとしたら、過疎化どころの騒ぎではない。

世界の漢達を魅了して止まないサーフィンというものを、
人生で一時期でも修行のようにどっぷり味わいたいと願っているが、
またもや、、10年先に持ち越すことになりそうである。

ポパイより

6.20.2011

NUDE

1992年頃、飲んでばかりいたスタジオマン時代にたまには作品撮りでも。。と思い立ち、某一流商社に勤めていた体の線が綺麗な知り合いにヌードモデルになっていただけないか、だめもとでお願いしたら、あっさりと快諾いただいて、スタジオフォボスに来てもらった。

当時、荒木さんの影響もあって、日本の写真界では私写真というくくりで、日常の空間で撮影されたようなある意味どろどろしたヌードが数多く発表されていた時期で、そういう写真に飽き飽きしていたことと、脱いでくれるとは言え、自分とはそういう関係ではない素人の聡明な女性の裸ということで、御本人にプレゼントしても、嫌な顔をしないような「綺麗なもの」にするつもりだった。

女性の裸をスタジオで撮るのは、初めてだったのだが、
無粋なことに、いきなり脱いでくれとお願いした。

世界のほとんどの場所が写真に撮りつくされたといえども、
実は、女性の裸などというものは、秘境に匹敵すると思っている。
グラビアなどの裸の写真で見慣れているとは言っても、セックス以外の目的で目の前に実物が登場すると、初めはさすがにどきどきする。

Rolleiflex2.8GX プラスX
初めのうちは、恥ずかしさも当然あり、どうしていいかわからないヒールだけを履いたすっぽんぽんの女性に、あ~だこ~だと指示をしながら撮っていたが、何本か撮り、ローライのフィルムチェンジをする間に、
モデルの女性は、白ホリのヒールで汚れた床を雑巾で拭くようになった。しかも、足を開いて大胆にごしごししている。「床は写らないから、気にしないでいいよ」と言おうかとも思ったが、何も言わなくても、自らが汚した床を、裸で写真を撮られているにもかかわらず、
普通の会話をしながら、掃除をする彼女の育ちの良さと、適応能力の早さに驚いた。あわててスタジオの鍵を確認したのを憶えている。

もう彼女は服を着ている時と何も変わらない感じで、体が動くようになっていた。カメラを35ミリに切り替えて、世間話をしながらシャッターを押した。白ホリの大きなスタジオという、おそらく経験したことのない真っ白な非日常空間で、普通の会話をしながらあっけらかんと、手をあげたり、歩いたり、飛び跳ねたりするさまに、女性はやっぱすげえな。。と。。軽くショックを受けた。

NikonF2 プラスX
思った通りの素晴らしい肉体だった。
男性の顔が大好きだが、女性の普段見えないもう一つの貌(かお)も面白い。せっかくのチャンスなので、じっくりいろいろ撮らせていただくつもりだったが、あまりの普段と変わらない彼女のスタンスに拍子抜けを食らった気分でサラッと撮影を終えた。

後日、写真のワークショップでステージ一杯に巨大に投影されて、
写真評論家や美術評論家に「綺麗なだけで、写真的にはつまらない」
というようなことを言われ、マイクを取り上げられるまで噛み付いてしまったが、彼女にプリントを渡すことが出来ただけで、私としては充分だった。

NikonF2 プラスX

6.17.2011

田辺あゆみ

たしか1993年頃、父親の写真を撮る半年ほど前に、
現在まで続く自分の写真の方向を決定付けた出来事があった。

その頃は、フォボスでスタジオマンとして働きながら、
暇を見つけては写真を撮り溜めていた。
当時は、自分がどんなジャンルのカメラマンになるのかもあまり意識せずに、
気が向いたものを被写体に選んで撮影していた。
ある時、雑誌だったと思うが、スチールの繊維で出来たジャケットを見かけて、
無性にブツとして撮りたくなって、キャプションに記された電話番号に
連絡をしたら、当時住んでいた代々木上原のすぐそばだったので、
すぐにお邪魔した。

そこは「前田修」さんというパリコレにも参加されている方のアトリエだった。
一通り写真を見ていただき、作品撮りに洋服を貸して頂けないか
お願いしたところ、その場で、とてもユニークな洋服をたくさん見せて頂いた。
雑誌で見たシルバーのスチール素材のジャケットやトレンチコートを初め、
黒いゴミ袋の素材でできたドレススカートや、和紙でできたロングコート、
「洋服ってやっぱおもしれ~~な・・」などと一人静かに興奮していたら、
前田さんが部屋に入って来られて、
「実は、、いい子がいるんだけど、彼女で撮ってみない?」


スタジオフォボスの大きなスタジオで、
一人でライトのセッティングをしていたら、
髪の長い普通の女子学生が頭を下げながらスタジオに入ってきた。
日々のアシスタントの仕事で、タレントやファッションモデルの撮影に
接してはいたが、そこで実際にシャッターを押すためにファインダーを
覗く機会はあるわけもなく、当時はまだ、いいモデルが
どういうものであるのかということを、
体で感じていたわけではなかったように思う。

前田さんを初めとしたスタッフの方々と洋服の見え方や、ライティング、
より引きの構成を立てながら、モノクロのプリントにイメージが近い高感度の
ポラロイド社のポラをNDフィルターを使いながら丁寧に撮影を始めた。

ヘア&メイクとスタイリングを施され、立ち位置に入った女子学生が
3.4枚シャッターを切ったあたりから、急に浮き上がるような感覚を覚えた。
長い髪が風をあててるわけでもないのに、自然にふわっとなびくような・・・
とても不思議な感覚だった。
街中でスナップをしていても、どんなものを撮っていても、
いいのが撮れる瞬間はカメラも被写体も
「ふわっ」と浮かび上がる感覚になることがある。
カメラを触媒にすることで、写真の魔界の扉をこじ開ける魔法を
使う人種こそがいいモデルなのかもしれない。。と、
その時初めて感じたような気がする。

それからパリに渡り、モデルとして活躍する「田辺あゆみ」さんが、
間違いなく既にそこにいた。

3ヶ月ほど経って、その写真が日本のアート・デザイン・ファッション・建築を総括するハードカバーの写真集に8ページで掲載されたということで、
前田さんのオフィスを訪ねた。生まれて初めて自分の写真が数ページに渡り、
しかも美しいモノクロ印刷で掲載されたのを見て、
とても興奮したのを憶えている。
前田さんは、みんなとても素晴らしい写真だったよと褒めてくれた。
ただ、そのあとの言葉が今も心に残っている。
「ただ、、、みんな、あゆみちゃんの写真になってる・・・」

洋服の見え方と構成を考えながら撮影したつもりだったし、
後ろ向きにコートをなびかせて歩く写真もあった。
スタジオに針金をはってブツだけをぶら下げて撮った写真も
透過光でレントゲンのようなスチール繊維のトレンチコートの写真もあった。
この時、ファッション写真の難しさと微妙さを強く認識した。
もちろん、そこにいいとか、悪いとか、、
答えがあるわけでもないことも含めて・・

この帰り道、上原の商店街を歩きながら
「俺は人物を撮る人間になろう」と勝手に決めた覚悟が、現在まで続いている。

彼女がパリのモデルエージェントに入ったという話を聞いた頃、
ドイツのモデルエージェントから事務所に電話があったらしい。
「あゆみの写真は素晴らしかった。あゆみはまだ若いけど可能性を感じた。
ドイツに来てモードを撮ってみないか?」
そんな伝言を頂いたが、当時はJリーグのオフィシャルで
サッカーの写真を撮るのが楽しくて、
「俺にモードはねえだろぅ・・」で連絡先のメモも
すぐにどこかにいってしまった。
もし駆け出しの頃、暇で仕事が無かったら、
随分と違う写真人生になっていたかもしれない。

数年前にBRUTUSの本特集で、久しぶりに田辺あゆみさんにお会いできた。
結婚されてお子様もできた彼女は、その時は魔法の杖は持ってきていないようだった。書店でワンカット、マキナ670で1ロールだけ撮らせて頂いた。

そして、私の中ではある意味・・「人物写真仕事モード第一号」の
オリジナルを、お渡しすることが出来た。

MamiyaRZ67 トライX  イルフォードマルチグレードRC

6.13.2011

6.11@仙台

10日に仕事で福島経由で仙台に入った。
仙台塩釜の港のガードレールは飴のようにとぐろを巻いていた。
3ヶ月を経てもなお、海岸線から数百メートルは離れている金網に
小魚が引っかかったままになっていた。


翌11日、夜更けから嫌な小雨が降っていたが、
夕方からの撮影までは時間があったので、
仙台塩釜港の南側の蒲生という津波の被害を受けた地区を見に行った。
現場に着くと急に空が晴れ渡り、強い日差しが照りつけた。
写真を撮るつもりはなかったが、太陽から「撮れ」と言われた気がして
カメラを持って車を降りた。














2時46分にサイレンが鳴ることはなかった。

6.07.2011

道ばた写真館@インド

もう15年程前になる。
初めてインドに行った。
どこの国から入ったかは、忘れてしまったが
テントが立ち並ぶスラム街に囲まれたデリーのドメスティック空港から
白いポンコツのタクシーで街に向かう車窓を見てるだけで、
まるで違う惑星に来てしまったように思えた。

朝靄にかすむ美しい朝日を望む野原で
ぽつんぽつんとはなれてしゃがんでいるうんこをする人達・・・

暑いのになぜか小汚い長袖のセーターを着てる男性達と、
信じられないほど汚いテントから魔法のように登場する驚くほど美しい女性のコントラスト・・・

鳴り止むことのない車のホーンと、車の後ろのホーンプリーズのサイン・・・

どうやっても抜き去ることが出来ない、
2車線分ほども横腹を膨らませて荷物を積んだトラック・・・

高速道路を逆行してあるく牛の群れ・・・

アジアの国を回っている途中で疲れていたせいもあったが、
町場のレストランで辛いカレーとジューシーなチキンを手で食べただけで、
猛烈にお腹を壊してしまった。
そんな中でも、タージマハルやオールドデリーの駅、
大きなモスク等の写真は撮らなければならず、
くも男のように手足が変形している物乞いに遭遇したりするうちに
我ながら昼間から暑いのに長袖のフリースを着るようになっていた・・・



デリー最後の日、繁華街をスナップしていたら、
道端に大きな木製の三脚に乗っかった暗箱のカメラのようなものが目に入った。
近くには初老の男と若者が立っていて、
椅子の上においたフレームに小さな写真がいくつか貼ってあった。
すぐさま、それがそのまま写真館であることを理解した。
おみやげ代わりに長い髪を切るのもいいかな~などと思ってはいたが、
その瞬間、自分へのおみやげは道ばた写真館の写真にすることに決めた。

初老の男に声をかけると、とりたてて笑顔になるわけでもなく、
黙って椅子にすわるように促された。
(「このおっさん、、なかなかやるな・・」)
日陰になった道ばたで、明るい道路方向に顔を向けて座らされた。
背景は小汚い壁である。
カメラは、、、
たしかにレンズは付いていたが、大小の木箱が二つ合体しただけのような
とてもシンプルなもので、横に穴が開いていたので思ったとおり、
その中で現像してしまう昔懐かし・・というか、伝説のスタイルだった。
ふっと合図をして、あっという間にレンズに手をかざしたかと思ったら、
すっとレンズを開放した。
(「こらあ~~!おみやげなんだから、深呼吸くらいさせろや。。
あ、カメラ二つとも首にかけたままやんけ・・・ま、いっか・・」)
で、あっというまにシャッター終了。
それから、その暗箱に手を突っ込んでしばらくもじもじしていた。
フィルム自体の露光というモノクロ写真の1ステップだけなら
メーターなどなくても、そこそこいい結果を得られるだろうが、
この場合、直感的な勘でフィルムは印画紙で代用しているとは思ったが、
・撮影時の露光の露出
・ネガ印画紙の現像濃度の見極め、
・最終コンタクトプリントの露光時間~現像濃度の見極め、
という目で確認できない経験による技が必要になる。
正直、どのくらいの仕上がりになるかわくわくしながら待っていたが、
これまた大した営業スマイルになるわけでもなく、
すこし濡れたままの写真とネガ写真を手渡された。
たしか300円くらいの支払いをした記憶である。
(「さすが。。おっさん。。なかなか、やるな・・」)
当時でさえ、面白い経験だったが、
今となっては、、、
バッテリーも、メディアもプリンターも、、電気なんかなくたって、
すこしの現像液と定着液と印画紙があれば十分写真はサバイバルできることを
思い出させてくれる大事な縦横3,4センチほどの小さな写真である。
(眉毛がないのと顔が疲れているのは、神様のせいだと思えばいい)


もし、チャンスがあったら、
この写真館にはもう一度足を運びたい。
ネガ写真のほうが、明らかな水洗不足で茶色に変色してしまったので、
再撮をお願いする為・・・

そして、帰りの空港で地元の大学生のお兄ちゃんに教えてもらった、
インド中から美人が集結するというデリーヒルトン地下の週末のディスコを訪れる為に・・・