4.21.2020

THE END OF THE GAME

『うそおっ....』
昨夜遅く、Facebookの書き込みを見ていて思わず声をあげてしまった。ピーター・ビアードが逝ってしまった。オレを写真の虎の穴に蹴り入れた巨人の一人がまたしても宇宙船地球号からいなくなってしまった。コロナが猛威を振るうNYで認知症を患い半月近くも行方不明で遺体で発見されるなんて....

90年代半ば初めてNYに行った際、確かソーホーあたりのギャラリーを見て回っている時に、ぶっきらぼうな配達員が幅広の2m半はありそうな巨大なキャンバスのロールをギャラリーの店先に投げるようにして置いていった。絵画の大作?のようだが縁は使い古しの雑巾みたいになっているし、巻を止める処置もしていなかった。人目を避けながら少しロールを転がしてみたら、なんとそれはまぎれもなくピータービアードの巨大な象の写真だった。印画部分でさえささくれて毛羽立ち超厚手のバライタペーパーと思える『生地』の縁はこすれてぎざぎざにほつれていた。それが、あまり綺麗とは思えないギャラリーの床に無造作に転がっていることにかなり衝撃を受けるとともに、写真をガラスの中に閉じ込めていない裸の大きな写真の迫力が心に突き刺さった。もしかしたら自分の個展はいつも額装をしないのは、このトラウマのせいかもしれない。
その出会いの直後、アヴェドンのオブザベーションを探してセントラルパーク西側の古本屋街を巡った。スタジオアシスタント時代、金はすべてカメラ機材を揃えるためのもので、写真集は買うものではなく目に焼き付けるものだと自分に言い聞かせていた反動のせいか、デビューしたてで海外に行った時は目を皿のようにして古い写真集をあさっていた。目当ての本はギャラがとんでしまうような値段だったりして、あまりおすすめ感のない棚を物色していたら『THE END OF THE GAME』という見慣れた写真集と同じ文字を見つけた。背表紙が緑に赤文字で自分が持っている同名の本と違うので『ぱちもん?』と思いながらページをめくると、それこそが初版本であることがわかった。『なにこれ...』とマンハッタンで一人日本語しながら、50ドルいかないくらいの値札を確認しつつビニールカバーもついて背表紙に一部破れがあったが綴じもしっかりしていてグッドコンディションなそれを隠すようにどうでもいい冊子(昔は小銭で買えたアヴェドン特集の古雑誌やパリ版エゴイスト)の間にはさんでうかつに値上げされないように何事もなかったように冷静な顔をして支払いを済ませ宿に逃げ帰ったのは懐かしい。いろんな意味で自分史上最高のお買い得お宝となった。

この啓示的な素晴らしいタイトルの本は後に姿を変えて世界中で出版されているせいか、初版本はむしろマイナーになってしまったようだ。後世のものは象中心の写真集となり空撮ものが多く挿入され印刷も紙も変わりあきらかに別物になっている。これはテキスト半分で彼自身によるイラストや取材記、マップ等も収録されて彼によるケニア紀行の本になっている。密猟という重いテーマでもあるがこの動物・人物・ランドスケープの写真達の行間には、テクニックや巧さとは別次元の純粋な写真を撮る冒険心と喜びが満ち溢れている。出会いから25年が経った今の自分のPortfolioが人物・動物・虫・ランドスケープ・ゾンビで構成されていることがまったく不思議ではないほどこの本の写真たちに魅了された。自分が英語圏でネイティブスピーカーだったら偶然のふりをして彼に会って、願わくば一杯やりながら武勇伝の一つや二つ直接聞いてみたかった。コロナ戦時下のNYでの最後の旅は一体どんなものだったのか?最後の日記はだれにもわからないものとなってしまった。ああ、時代が変わる音が聞こえる。彼の名前とこの本のことは永遠に忘れない。

※彼は日記番長でもあり、なんでもかんでも貼り付ける素晴らしい超アナログ日記で有名だが、個人的には日本で過去に発行された『Diary Peter Beard』リブロポート社刊が超おすすめ。

ピーター・ビアードに献杯@小淵沢第2アジトテラス

『THE END OF THE GAME』 Peter Beard 
Viking Press@1965  256pages










































4.19.2020

白駒池

昨日、第二アジトにマスクが届いた。
耳が痛くなりそうでマスクの面積も小さく見るからに毛羽立ちそうな政府配給のものではなく、九州・小倉の同級生マダムがオリジナルでプロデュースしたものだった。ここだけの話だが、実はオレオレ、マスク評論家でもある。取材撮影が多かった時期は年間に100泊くらいホテルに泊まっていた。撮影が終わりホテル部屋に機材をぶちこんで撮影データのバックアップをしてすぐさま美味しい晩餐に出かけるわけで、部屋のエアコンの効き具合を試す時間などあるはずもなく、散々酔っ払った状態で部屋に戻り、朦朧としながらシャワーを浴びて歯を磨きベッドにぶっ倒れるわけだが、そんな酔っ払いに容赦なく乾いた風を送り続ける不慣れな初対面のエアコンから身を守らなければ、翌朝、二日酔いに加えて喉をやられて使い物にならなくなる。(長いカメラマン生活において仕事先で一度だけ熱が出たことがある。スペインで撮影が終わり最終の予備日を早くに切り上げて一人で空港に向かいパリのトランジットでカウンターの美人パリジェンヌにコムデギャルソンの縮絨ブルゾンの襟を立てて笑顔を振り絞って熱があり頭が痛いと英語で告げたら、なんと人生初エールフランスファーストにアップグレードされたのはいい思い出だ。当時のシンプルなファーストシートは普通にシングルベッドで白く柔らかい羽毛の枕と布団だった。真っ先にシャンパーニュを持ってきてくれたジュード・ロウのようなムッシュキャビンアテンダントが彼氏のようにケアをしてくれて、成田まで完全に爆睡したおけげでヨーロッパ便に乗った疲れどころか体調もよくなって『あれ?俺具合悪かったはずだけど、、』とリムジンですがすがしく帰宅したのを覚えている。)そんなこんなで、ロケ先でコンビニに立ち寄り様々なマスクをゲットして寝るようになって以来、自宅でも具合が悪いときや飲みすぎた時はマスクを付けて寝るようになっていた。さらに、移り住んだ小淵沢の3階角部屋という第一アジトの冬季朝方0度の環境で、喉の乾燥を防ぐのみならず、寝ているときに体内の熱をなるべく逃がさないようにマスクは必需品となり、口を開けて何十年もいびきをかいていた親父が数年前に声帯癌になってしまった(放射線治療で今は完治)ことも精神的なとどめとなって、どんな時も寝る時はマスク!となった。『No Mask, No Sleep』なTシャツを着たいくらいのベテランマスク評論家の目から見て、送られてきたマスクはとてもいいものだった。耳が痛くならないゴムと寝返りでずれないデザイン(ほどよい立体裁断によるフィット感とサイズ)は完璧だ。毛羽立たない生地も素晴らしい。色が薄紫ということでおっさんが外で付けるのは微妙なので枕元常備確定だ。
『ミッチ、さすがや!ありがとう!大事に使うちゃ!』
(残念ながら、このマスクは特殊な生地が入手困難になったということですでに完売とのこと)


脱線ついでに、もう一点。
このブログも10年ほど前から軽い気持ちで古いものから記憶を頼りに書き記してきたんだけど、少し読み返しながら思うのは書いておいてほんとうによかったと感じることだ。なんというか、出来事から10年くらい経ってしまうと言葉をさらさらと紡げるほど簡単に記憶が蘇らないと思うようになったからだ。つまり今の自分の記憶からでは抽出できないような10年以上前のこまかいエピソードや言葉や感情がこのブログの中に残っていてなんとも不思議な嬉しさを感じるのだ。公開するしないにかかわらずなにがしかの形で思い浮かぶ言葉をまるごと残しておかないと自分自身の記憶からも少しづつ消えていく。少し大げさだけど、歳をとると昔話をしたくてもちゃんと出来なくなることをこの場を借りて皆様にお伝えしたいと思った次第。。自分だけが持つ自分の記憶を言葉にしておくことは、間違いなく近い将来、タイムカプセルとなって自分へのささやかなプレゼントになる!コロナ報道に疲れてSNSバトンリレーにも飽きたら、ぜひトライ!

というわけで本題の白駒池!
標高2000mを超える湖としては日本一大きく、アクセスする国道299号線が冬季に封鎖される。最寄りの駐車場が500円かかろうとも、トイレがチップ制でも、紅葉のベストシーズンには駐車場で小一時間並ぶことになっても許せる神秘的な湖だ。駐車場から苔の森を歩いて約20分。以前ブログに書いた『もののけの森』を通りながら湖の周りを歩くこともできるし、湖を見下ろす高見石にもゆっくりでも1時間ほどで登ることができる。
『もののけの森』
なんといってもオススメは手漕ぎボートだ。ハイシーズンでもあまり混雑しないボートで、おにぎりをほうばりながら、好きな場所に移動して写真を撮ることができる。ボートの中で横になりこっそり一服しながら静かに空を見上げているところに甲高い音を立てて飛んでくる無粋なドローンを打ち落すには電磁波攻撃がいいのか高性能なモデルガンがいいのか?などとくだらない妄想するのも含めてとてもいいアローンな時間だ。湖畔でボートのレンタルできるのは2箇所、白苔荘と青苔荘。基本は30分だが湖全体をくまなく巡り、軽くランチをするなら倍の料金を払ってでも1時間借りたほうがいい。念のためにライフベストは装着、くれぐれもスマホ・車の鍵・財布をポチャンしないようにご注意を。

冷え込みがいまいちだった2019年だが、白駒池では10月のはじめには紅葉が始まっていた。例年に比べるとたしかに黄色・オレンジ系が弱かったが赤いものは見事に色づいていて依然残っている緑とのコントラストが印象的だった。