9.17.2020

『走馬灯』『マイクロツーリズム@小淵沢 2021カレンダー』

写真とは、この世界を『参照』するものである。フィルム時代にプロとなり、現実の世界を写しとめるというさながら神にしか与えられていなかった行為を生業とすることに心の奥底で嬉しさを噛み締めていたことがちょっと懐かしい。デジタル時代全盛となり、フィルム代も必要なくなり携帯電話に写真を撮る機能が盛られたことで膨大な『参照』が世界中に溢れることとなった。

コロナによる外出自粛で籠城していた時に、東京都のアートプロジェクトの存在を知り、募集要項の『写真によるスライドショーも可』という文言に身体が反応した。3秒ほど、『最近の自然の写真をスライドショーにしてやっとくか。。』と思ったが、すぐに3年にわたり海外のエージェントに日本の写真を販売していた写真家チームのことを思い出した。まとめ役をやっていたおかげで、それぞれの絵心は熟知していた。
久しぶりに訪れたそのメンバーのチャットルームはまるで蜘蛛の巣が張っているような気がしたが、埃だらけのテーブルのススをはらい、1通の手紙を残した。部屋の電気がパチパチと灯っていくようにしてメンバーが戻ってきて有志により流行りのWEB会議を繰り返してこのスライドショー制作に取りかかった。
ベテランの商業カメラマン達が集結!(フォトグラファーというのはネイティブジャパニーズとしてはなんとも気色悪い)といえば聞こえはいいかもしれないが生い立ちもジャンルもバラバラで、自分の立ち向かうべきもの(与えられたミッション)以外は知ったこっちゃねぇ的なわがままなおっさん達が群れになるのは実はけっこう面倒だ。コロナにお暇をいただきはぐれ浪人となったおかげもあり、まとまって一つのものを形にできたことは、ある意味この時期のいい記念となった。

スライドショー動画『走馬灯 Phantasmagoria』

撮り人知らずな10人の参照(写真)を静かに重ねながら、個人の思いや経験などを超えた形而上的な記憶増幅装置となることを狙って『走馬灯』というタイトルにした。『神』が二次元の『写真』の撮り方を教えてやる代わりに、見返りとして人間が死ぬ時にそれぞれに見せる『各人の記憶連続写真の予告編』をわかりやすく作ってくれと『神』からオーダーを受けた気分である。
日本だけの写真ではあるが人類共通の『参照』としたかったのでわかりやすい写真達を採用している。この動画に関しては一人の写真家の『注釈』を連続させるような堅苦しいものにしたくなかった。この世に一つだけのものの象徴として月から始まり、桜が舞い、凍った川は溶けては流れ、花は朽ち、北アルプスの山々が音をたてるように波へと姿を変えながら季節を巡る。はっきりと思い出せない少女の面影が触媒となり遠い思い出が陸海空を疾走する。『神々』がひそひそ話している写真も挿入した。本当は日本のアースとウィンドとファイアーを思い出すこの動画のBGMにはモリース・ホワイトに『ドゥユリメンバー♫』と歌っていただきたかったが、それもかなわなくなってしまったので知り合いのマダムピアニストにお願いした。



来年、オリンピックが開催されるのかどうか?も含めて、まだまだ遠くへ移動することにためらいを感じてしまう世界中の人々の気持ちは簡単にはなくならないだろう。写真展を開催するにしても、お誘いするにも、お誘い合わせで来てくれる気分さえもブレーキがかかってしまうような状況ではいささか気持ちがよくない....そんなコロナ禍の空気感の記録として印刷オーダーした『マイクロツーリズム@小淵沢 2021カレンダー』が500枚届いた。いい悪いは別にして、写真の鑑賞方法としてモニターやスマフォの透過光で見るのと紙の写真を見るのとでは脳の認識や感じ方が違う気がしていることもあり印刷物という形にしておきたかった。小淵沢から車で1時間以内のアクセスに限定した四季折々の風景写真36枚をマルチで構成したA2サイズの一枚ものだ。ご近所に住んでいる方々にこそ個別にゆっくり見て欲しい思いもあるので小淵沢の道の駅あたりで販売してみようかと考えている。


一昨日、手長えびを求めて500キロのドライブをして半年ぶりに海を見た。沼津千本松のじゃり浜に寝そべりシャインマスカットをほうばっていたら細胞がリラックスするようななんともいえない感覚におちいった。気ままに遠くに移動できない本能的欲求不満のようなものが少しだけ解消されるような....アフターコロナにおける人類のあらゆる営みがどういったものになるのか、先々、、少し楽しみでもある。