2.08.2012

Stan Smith

スタン・スミスとは言っても、テニスプレーヤーではなくて
スニーカーのスタン・スミスである。
棚に埃だらけになって積み上げられた、履き古しのスタン・スミスの山を眺めていたら、
最近Facebookで知り合いの女性が使っていた「断捨離」という言葉がリフレインしてきて、
よし、捨ててしまおう!とゴミ収集について調べたら靴はなんと可燃ゴミだった。
結局、ゴミだしまでに2日待ちとなり、こんなに履き古しの同じ靴が一同に会してるのも
なかなか無さそうなので、写真でも撮るか・・ということになった。
掃除を始めたのに、昔の雑誌に目が留まったりして、
「あれ、俺何してたんだっけ?」は人生の喜びでもあると思っている。

高校の同級生だった背が高くて痩せていたNが、
休みの度に、親に怒られそうな井手達でみんなで魚町商店街に集まっていた頃、
ミリタリーのトレンチコートに、細身の大きなスタン・スミスを履いていたのが妙にかっこよくて、
当時ナイキ派だった自分も、真似するのは癪ではあったが、スタン・スミスを履くようになった。
以来30年間、いつも手元には必ずこのスニーカーがあった。
一体、何足のスタン・スミスを履いてきたことだろう。

飲み終わった後に、紐を結ぶのが面倒なことと、
靴紐を結ぶのに、大事な腰を痛めたら話にならないので、
近頃はベルクロタイプを選んでいる。
どうも、アディダスのベルクロタイプが廃盤になったようで、
他のメーカーの白いベルクロスニーカーを物色している。

311の後、自宅にあふれるガラクタを見るたびに、
もっと身軽に生きなければと思うようになった。
頭の中では、いざという時のカメラや家財の持ち出す優先順位を無意識に考えている。

SumallyというSNSのページをクリックする時も、
買わずとも、所有せずとも、物欲を満たしたような気分を味わうという
本来の役割とは違う目線で並んでいる写真たちを眺めているのかもしれない。

人間にとって物欲とは、まさに業であるとともに、
文明の進化のエネルギーであることは間違いないが
人間が今後、もっとも気をつけなくてはいけないやっかいなものだと思う。

そんなことを言いながらも、
腰が曲がって、ろくに歩くこともできないようになったら、
若返った気分を味わいたくて、この白い新しい靴を探すんだろうなどと思いつつ、
せっかくセッティングしたストロボを使って、部屋中のガラクタなブツを撮りまくりながら
確定申告作りをさぼって、のんびりとした一日になった。

iPhone4 にてPCモニター撮りしたもの。
周辺のハレーションによる色かぶりも悪くない。