3.12.2012

古館伊知郎

311から一年を迎えて、テレビ局各社が特番を連発していた。
311以降、日本人は新聞・テレビ・マスコミの成り立ちを理解して、
払拭できない根強い不信感を抱いてしまったことに、誰も文句は言えないだろう。

このところ、NHKを中心にして、後だしジャンケンのように、
放射能のシリアスなデータが少しづつ放送されるようになっている。
ほんとうは、一年前から、きちんと最悪の状況予測も含めて放送してほしかった。
日本人の中に芽生えてしまった、放射能にたいする温度差も、
もとをただせば、リスクをきちんと明らかにしない政府と、
あやふやなマスコミ報道によるものが大きいと思う。

昨夜の特番で古館伊知郎さんが、発言している内容がネットにあがっていた
残念ながら、日曜日は大河ドラマともっくん&真木ようこさんのドラマ日でもあり、
見逃してしまった。

21世紀になる直前、まだ「ニュースステーション」のキャスターを努める数年前、
雑誌「家庭画報」の連載対談ページで古館さんを撮らせて頂いた際、
古館さんは、カメラの前に立っても話が止まることはなかった。
瞬間的に、大人しく黙っている写真も頂こうと、目をつぶって下さいとお願いした。
すると、ほんのわずかな間ではあったが、静かに口をつぐんでくださった。

Hasselblad 500CM 100mm TRY-X

機関銃のように、滑舌(かつぜつ)よく言葉を連射して、
我々をテレビの中に引きずりこんでいた油ののりきった古館さんをよく知る世代としては、
民法のニュース番長として、政治・経済・事件などに、
どこか遠慮をしながら中途半端に話をする古館さんの姿に、
きっと欲求不満・ジレンマを感じていたはずである。
もちろん、仕事仲間に迷惑をかけられないという御本人の思いも、
プロとしては当然のことであるとも思う。

放射能が漏れ続ける状況に、きっと一年後は天気予報と並んで、
花粉と放射能の飛来予測が普通に放送されるようになると思っていた。
逆に、そうなることが本当の放送局の役割だと信じていた。
ところが、莫大な視聴者をもつテレビが日々、放射能飛来予報をすることは無い・・・

少し遅かったかもしれないが、そんな古舘さんが、
311から一年を経過してテレビで発言した言葉が、日本のテレビ放送をより本当の意味で
視聴者のためになっていくきっかけになればいいと、こころから願う。
古舘さんが、その才能を、もっと違う形で発揮して欲しいと願っているのは、
私だけではないはずである。

上述のリンク先も、いつ消えてしまうかもしれないので、抜粋しておく。
(以下、抜粋)
話題になっているのは、番組の終了間際のエンディングトークの場面。震災で不通となった三陸鉄道南リアス線三陸駅のホームに立った古舘は、「この番組に関して後悔することがあります」と神妙な面持ちで語りだした。古舘はまず、“牛の墓場”となった牧場について撮影・放送しなかったことを「一つ目」の後悔として語り、その後に、「二つ目の後悔は原発に関してです」として、以下のように語った。
「『報道STATION』ではスペシャル番組として、去年の12月28日の夜、原発の検証の番組をお送りしました。津波で原発が壊れたのではなく、それ以前の地震によって一部、(福島)第1原発のどこかが損壊していたのではないかという、その追求をしました。今回、このスペシャル番組で、その追求をすることはできませんでした。“原子力ムラ”というムラが存在します。都会はこことは違って目映いばかりの光にあふれています。そして、もう一つ考えることは、地域で、主な産業では、なかなか暮らすのが難しいというときに、その地域を分断してまでも、積極的に原発を誘致した、そういう部分があったとも考えています。その根本を、徹底的に議論しなくてはいけないのではないでしょうか。私はそれを、強く感じます。そうしないと、今、生活の場を根こそぎ奪われてしまった福島の方々に申し訳が立ちません。私は日々の『報道STATION』の中でそれを追求していきます。もし圧力がかかって、番組を切られても、私は、それはそれで本望です。また明日の夜、9時54分にみなさまにお会いしたいです。おやすみなさい」