1.07.2011

琴欧洲

2007年の年明け間もない頃に、
BRUTUSの池田さんから音楽特集で琴欧洲さんの撮影の仕事を頂いた。

当時、デジタルによる写真納品が浸透したころで、
どうにもみんな同じような普通のトーンを少し変えたくて、
比較的自由な写真で良さげなオーダーだったこともあり、
大戦友の編集の池田さんに、モノクロ8×10の白バック枠付きプリントで、
やりたい旨を相談したら、デザイン上のコンセンサスも取って頂けた。

Avedonである。
大学時代に、神保町の古本屋で1977年の
西武美術館でのPORTRAITの日本語版図録を見て以来、
彼の写真集は死ぬ程見てきた。。
お金がない頃は、本屋で目に焼き付けながら、
被写体との出会い頭に生まれる写真的な何かを常に探ろうとしていた。
Avedonの力強さとPennの芯のある視線を盗みたかった……

どうしてもバイテンが欲しくて、
独立後数年経ってようやく銀一でコンディションのいいものを見つけて
当時の銀座の銀一のとなりの第一勧業銀行で60万円を引き出して、
あまりに興奮していたため、キャッシュディスペンサーにお金を残したまま、
銀一の地下に降りて、お金を払おうとした時に、
体温が10度くらい下がった記憶はとても懐かしい。
あのころは、たしかまとめて60万が出てきた時代だった。
幸い、奇跡的にそのディスペンサーにはお金がそのままの状態だった。

フィルムからデジタルにまさに移行しようとしていた2004年、
Avedonは逝ってしまった。
ポートレートが被写体のイメージを瞬間凍結するように、
彼の過去の作品達は永久に私の中に凍結された……
Avedon以外にも多くの会ったこともない世界中の人達が、
実はちょっと心の師匠だったりするのは、写真の持つ不思議な力だと思う。

フィルムで仕事をする方は、だれでも同じだと思うが、、
どんなにメンテを施した、使い慣れたカメラであっても、
たとえポラを引いて撮影直前に確認しようとも、
フィルムが現像されて、手の中に収まるまでは
なにがしかの「祈り」を捧げる。
デジタルになり、祈る前に勝手にモニターに絵が出てくるシステムは
その「祈り」という行為が無い分、
なにか情念的なもののけが写らなくなったような気もする。
そのフィルムが20×25センチともなると、
ちゃ〜〜んと「祈り」も倍増してしまうのである。

相撲部屋の引きのないぎりぎりのスペースに
ペーパーを垂らし、ストロボをセッティングして、
フィルムは4隅がちゃんと入ってるのか?
ストロボ光が引き蓋の隅から潜り込まないか。。
デジタルでは忘れていた、祈りにも似た確認作業を
ひさしぶりに無意識に思い出しながら、10枚撮影した。

それ以来、バイテンのペリカンケースと
ヤフオクで落札した頑丈なバイテンホルダー専用の
金属ケースは出動していない。
いつの日か、エネルギー充填120パーセントで
波動砲発射な気分になるまで、待機しているのである。

Deardorff 8×10 Fujinon 360mm TXT4164 +1