1.12.2011

井上陽水

恥ずかしながら、井上陽水さんとデビットボウイさんが
死ぬ程好きなのである。

2007年にBRUTUSの落語特集で
立川志の輔師匠と陽水さんの対談があるということで、
大戦友の池田さんが声をかけて下さった。
ウルトラサンクスなのである。
そりゃ、何百日も御一緒させて頂いていれば、
あんなことも、こんなことも知られてしまっているわけで。。


小学校の時から、歳の離れた兄の影響で兄弟部屋の音楽は
陽水さんがデフォルトだった。
当時の曲は全て歌詞を暗記していて、
小学校の授業中にクラスメートの順平と
競うようにノートに歌詞を書いていた。
コンサートを収録したラジオ番組をカセットテープに録音しては、
トークの一言一句まで耳を立てて聞いていた。
兄がコンサートに出かけるのを、
どれだけ悔しい思いをしながら見送ったか、
いまでも思い出す程である。

池田さんとページのコンテを確認しながら、
スタジオでライティングをして待っていたら、
陽水さんが現れた。
男性の撮影で緊張することはあまり無いが、
さすがに、、小学校時代からの憧れの方である。
緊張はもちろんするのだが、
自分の立ち位置を見失ってしまうほど、
何かが脳内で滲むのである。

死ぬ程ファンであることは撮影の後に告白することにして、
ひととおり写真を撮った。
そして、同じく陽水さんのビックファンである
志の輔師匠の為にという顔をして、
ちゃっかり自分も入って集合写真を頂いた。
掟破りその1である。

撮影が終わり、私服に戻られた陽水さんに告白をした。
「小倉出身なんです。小学校時代から、死ぬ程ファンです。
今日は、ほんとうにありがとうございます。
あの〜大変恐縮なんですが、、サインして頂けませんか?!」
中学校時代にゲットしたアルバムを持ち出した。
しかも「ミュージックプラザきたがた」のぼろぼろの袋入りである。
陽水さんは、大学浪人時代に小倉にいらしたこともあり、
「 きたがた」の袋に入ったアルバムなら
絶対サインしてくれるだろうという作戦だった。
掟破りその2である。

さすがスーパー編集池田さんである。
なんとそのまま一献という運びになり、
陽水さんと志の輔師匠と池田さんと編集長も合流して
霞町の和食屋さんに向かった。
座敷に座った陽水さんが眼鏡をはずした。
御来光である。。
どんなハリウッドスターがかっこよく眼鏡を外そうとも、
これにはかなわないのである。
眼鏡をしていない顔は昔のレコードジャケットで拝見しているせいもあり、
脳内タイムマシンがいったりきたりになって、夢のような時間だった。
私のことを「小倉、小倉 」と呼んで頂いたのは冥土の土産である。
「しょうちゅう……」という陽水さんのオーダーする声だけで、
どれだけ気持ち良かったか。。
お伝えできなくて残念である。

志の輔師匠がトイレで長い時間待たされて戻ってきた後に、
「小倉、、トイレ空いてるか見てきて。。」
たしか5秒で確認したと思う。。

「小倉、、タクシー。。」
履物が無かったが、ためらわず裸足で3階から地上に駆け下りて、
タクシーを止め、取って返して裸足のまま陽水さんのデイパックを持って
タクシーまで案内させて頂いた。

志の輔師匠と池田さんと3人で、河岸を変えて盛り上がってしまった。。
以前、別の雑誌で師匠の撮影にNHKに伺った際、
編集の不手際により、部屋が無い状況で廊下でストロボをセットして
撮らせて頂いたポートレートを師匠が気に入って頂いていたこともあり、
「カメラマン、君でほんと良かったわ〜」と言って頂き、
陽水さんのファン自慢を肴に、肩を抱き合って、しこたまお酒を頂いた。
掟破りその3である。


既に昭和記念で二日連ちゃんで見た陽水さんのライブ「Powder」を、
オーチャードホールでもアゲインするかまだ迷っている。。
目の前の棚には、サイン入りのアルバム「二色の独楽」
順平にプレゼントするかどうか、いまだに迷っている。

CANON Eos5D 28~70mm